レポート[Class02]第1回講義


5月27日に、大津・唐橋のmomo庵にて、Class02 “共感の経済でつくる未来”の第1回講義を行いました。こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
> 中谷志野舞さんから
> ダイジェストムービー
講師の熊野英介さん

Report

Class02 “共感の経済でつくる未来” 第1回講義 2017.5.27

当日タイムテーブル
レポート(坂本彩さんから)

都合で早退させてもらったため、中途半端な内容になってしまっています。
最後まで聞けていないので、誤解もあるかもしれないという前提で読んでください。

第1回目は、「2030年の未来を考える」という、「え?13年後。そこやん。」というテーマであった。いろいろ不安なことが起こっている社会だけれども、13年後は、まだ、そんなに大きなことは起こっていないのではないか。まあ、なんとかやっていけているのではないかと言う私の安易な想像は、前半の講義で、「やばいぞ。」という気持ちに変わった。

熊野さんは、「未来予測に必要な5要素」として、「人口動態」「地球環境動向」「資源枯渇動向」「技術革新」「社会的価値」をあげた。
「人口動態」…世界の人口は増える。日本の人口は減り、中身は高齢者が多い。
「地球環境動向」…気温上昇は年々加速し、森林が消失。2030年には、39億人が深刻な水ストレスに直面する。
「資源枯渇動向」…銅鉱石14年、鉄鉱石49年、オイルピークは2006年、食料は減産。

ここまで話されたところで、1回目のグループワーク。「2030年はどんな社会か?」と言うテーマ。私はもうビビッていたので、2030年に我が家の夫婦の会話を想像して絵に書いてみた。

私「今日、お水が足りないわ。」
夫「配給クーポン券ももうないし、ヤミで買ってくるわ。」
という会話。想像力が足りないので、戦後の日本のようになっている。
同じグループのみなさんは、そこまで悲観的ではなかったので、私がネガティブすぎるのかなあと思ったりした。

続いて、後半の講義再開。「技術革新」「社会的価値」について。
講義再開の最初に言われた話が印象的だった。
「人間は、人間のしたいことを選んでしてきた。したくないことはしてこなかった。それは、幸せになるために選んできた。なのに、いま、“衣食住足りて、不幸”になっている。」

幸せになると思ったら違ってた。この「幸せ」を何とするのか。と、私はメモしている。

「技術革新」…すでに始まっている、始まりかけている様々な技術革新のお話。すごいな、と思う。でも、それがどう幸せにつながるのか私にはまだイメージができなかった。
「社会的価値」…人間は未熟な状態で生まれる。まともにものが食べられるまで2~3年かかる。大声で泣く。居場所がばれたら虎とかに狙われるのに。そんな人間が発展していくためには、役割分担が必要だった。「狩をする人」「子どもをみるひと」など。人間はサルに比べて白目の部分が多いという。それは、表情豊かにコミュニケーションをとるためだという。

私はこの話をきいて、「やっぱりここだ。」と思った。自分の仕事にひきつけて考えると、縄文時代の遺跡から、障害のある人が介護を受けて不自由な体のまま生きていたであろう遺骨が出てきている話を思い出した。縄文時代に、障害のある人と共同体の中でいっしょに生きていくためには、役割分担と、分配が機能していたということになる。自分で自分の食料を確保することも、食事をすることも、清潔を保持することもできなかったであろう障害者が生きていたのであるから、赤ちゃんの世話と同様に、役割分担がなされていたはずである。そして、この役割分担と分配を機能さすためには「共感」が必要である。他者の気持ちを想像して、コミュニケーションをとらなければ役割分担や分配はできない。まさに「共感で未来をつくる」だ。

そして、そのまま、2回目のグループワークになった。
テーマは「2030年からのバックキャスティング」。
私は、2030年に幸せな未来を作るために、自分はこれからなにをしようと考えた。

私はソーシャルワーカーである。なので、私は、「エンパワメントの視点を大切にしたソーシャルワーク」をしていこうと思った。エンパワメントとは、“自分が本来持っている生きる力を太らせていくこと”だと考える。それは他者を排除して自分だけが生き残るような力ではない。私たちはそもそも役割分担のために共感する力を身につけているはずだから、エンパワメントされることで本来の共感の力が復活し、深みを増していくような生きる力が太るはずである。それは、お互いの命に思いを寄せて、“自分たちの幸せ”に向けて合意形成をして、社会を作っていくことにつながるのではないか。そんな人たちがつくる社会の「幸せ」は、“衣食住足りて不幸になる。”という幸せとは違う“自分たちの幸せ”を見つけることができるのではないかと感じた。

坂本彩

講義中の様子

休憩の様子
レポート(中谷志野舞さんから)

最初に個人的なことから。
今年から夫の両親と同居することになった。同居の理由はズバリ、老後貧困の回避。義父母が独立した生計を立てることが難しくなり、家や車、そして諸々の生活費をシェアするため、同居を選択した。
が、同居の選択は他の問題も一緒に連れてきたのだった。
まずは介護の問題。今は2人とも元気だが、いつか体が不自由になる時が必ず来る。昔に比べ自治体の支援は充実しているものの、最終的には家族、特に嫁が面倒をみると世間、そして義父母自身が特に疑問もなく考えていることに、ものすごく違和感を感じた。どう考えたって、ひとつの家族や個人に押し付けられることじゃないだろうと。
もうひとつは仕事の問題、というよりも働くことの問題と言ったほうが良いかもしれない。
同居をきっかけに、約7年振りに仕事を始めた。接客・販売という今まで経験したことのない分野だが(アルバイトは除く)、お客さんとのやり取りやお金の管理を通じて、ものを売ることはおもしろいと感じるようになった。また自分の生活や考え方にフィードバックされることも多く、働くことは社会と関わることの方法のひとつ、を実感している。
が、その一方で夫は過労で休職をくり返し、私は扶養に収まるようにパート雇用に甘んじる、この働き方のバランスの悪さに、どんどん疑問が大きくなってきた。
金融危機が来るたびに、リストラ、早期退職、新規・中途不採用という雇用調整される私たちとは、いったい何者なんだろう、と。
なので熊野さんから「工業の使命は人間を喰いものにすること。人間と自然をコスト(経費)と考えることが常識になった近代社会では誤作動が起こり続けるのは当たり前」と聞いたときにすべてが腑に落ちてきた。工業によって文明化を進めてきた近代社会で生きている私たちは、もはや生身の血の通った人間ですらなく、お金に置き換えられ消費され、最終的にゴミとして廃棄されるような存在だったのだ。だから平気で切り捨てられる、、、納得。
人間らしく生きられない上に、すべてのリスクは個人に押し付け自己責任で済まそうとするこの社会。やっぱりおかしいし、このままじゃ嫌だと思う。生きている以上、幸せに生きていきたいと思うし、そして幸せというのは自分ひとりが幸せでもダメで、みんなが幸せに生きることで回り回って実感できるものだと思う。
みんな(人間だけじゃなくて、動物や植物、生命を持っているものすべて!)が幸せな未来を実現するために、熊野さんの叡智からたくさんのことを学んでいけたら、と思っています。

中谷 志野舞

 

チシンさん(BFR)によるコーヒードリップ

ダイジェストムービー

 

(おまけ)すきまの時間

* *

玄関を掃除してくださるななつさん
懇親会の様子
唐橋からの瀬田川と琵琶湖