#14 「不登校元当事者に話を聞いてみた」ゲスト:中西愛さん(2024.7.10配信)

本記事は、音声配信『学校行かないカモラジオ』の内容をもとに抜粋・編集しています。内容や状況は配信当時のものであり、現在とは異なる場合があります。

第14回は、ゲストに滋賀県野洲市で活動する、心の居場所~toiro~の中西愛さんをお迎えしています。今回は、愛さん自身が経験した不登校について、お聞きしていきます。

中西 愛さん
学校でのトラウマ的経験や、音や匂いに敏感で、にぎやかな場所や集団行動が苦手な自身の特徴によって、小学校1年生から学校に通いづらくなる。その後、強迫性障がいなどと向き合いながら、約10年間の不登校を経験。現在は自身の不登校経験にもとづき滋賀県野洲市で心の居場所〜toiro〜を運営。
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~心の居場所~toiro
頑張らなくてもいい、ただただ心の元気を取り戻すための場所、でも、元気が出てきたら程よい距離感で背中を押してくれる人がいる。という愛さん自身が必要としていた場所を形にした居場所。時間はかかるかもしれないけれど、一歩ずつでも、いま困っている子たちのために伝えていければいいな、という思いで、月に1~2回開催している。いつかは、不登校の子どもも親御さんも、周りにいる人たちも支援者も、み〜んなの心が楽になる世の中になるように、アプローチができたらいいなと考えている。

井ノ口

今回は、愛さんご自身の不登校の経験についてお聞きできればと思っています。カモラジオで不登校を経験された当事者の声を直接うかがうのは、今回が初めてです。
以前から「いつかは絶対に必要な回だ」と思っていたので、お話を伺えることは本当に嬉しいです。ご出演いただき、ありがとうございます。

中西

こちらこそありがとうございます!よろしくお願いします。

不登校のきっかけ:小学校での担任の先生からの「過度な指導」

井ノ口

早速ですが、愛さんは小学校1年生から、約10年間不登校を経験されたということですね。どういったきっかけで学校に行くのが辛くなったんですか?

中西

はい。私の場合は、小学校の担任の先生から、「過度な指導」があったという感じです。大きな声で怒鳴ったり、そういう先生の姿を見てしんどくなったというのがきっかけですね。

井ノ口

うんうん。

中西

しんどさの要因は2つあって、1つ目は、一斉指導ですね。私自身が怒られていたわけではなかったんですよ。先生は私に向かって怒っていたのではなく、友達が怒られているのを見たり、一斉指導でみんなが指導される中でも、まるで自分のことのように感じていたんです。自分ではないことでも、人のことを見てしんどくなる、ということがありました。
2つ目は、先生の理不尽な振る舞いもしんどさの要因だったと思います。先生自身の気分によって、その日の授業の進み具合が全然違ったんです。授業が進まないのは生徒たちのせいだと言われたりもしました。その時の張り詰めた空気感が幼かった私の中では恐怖に近いぐらいトラウマになったというのが、やはりきっかけだと思います。

井ノ口

私も、小1の時、先生によく「そんなことするなら幼稚園に帰りなさい!」と怒られたこと、今でも覚えてます。

親への不登校の伝え方と親子関係の変化

井ノ口

不登校になり始めた時、行きたくないことを、お母さんにどんなふうに伝えてたんですか?

中西

最初は「お腹痛い」とか「今日は熱っぽいし休みたい」みたいなことを言ってましたね。

井ノ口

はい。はい。

中西

小学生の時は、「学校がなぜ嫌か」を全然言葉にして伝えられなかったんですよね。だから、親も「なんでやろう?」って感じでした。家ではしんどくても、先生と好きなように接しているように見えたから、学校でそんなことが起きているとは思わなかったようです。だから、自分の中で閉じ込めて過ごしていた感じでした。やっと言えたのは、もう何年も経ってからですね。

井ノ口

あ、そんなに!

中西

そうそう。2、3年経って、ボロボロボロって「こんなことが嫌だった」って言い始めて。 最初は全然言えなかったです。

井ノ口

その後、ずっと学校に行けなかったわけではなくて、行ったり、でもやっぱり行きたくなくなったり……ということを繰り返していたと、打ち合わせのときに聞いたのですが、そのあたりのことについても聞かせてもらえますか?

中西

そうですね。やっぱり最初のきっかけで、人への不信感を持ってしまって。そこから約10年以上、学校に行ったり行かなかったりを繰り返していました。小学1年生の経験から、「この人は安全安心かどうか」を見抜く力がすごく敏感になってしまって。
だからその後も、何人もの先生を「この先生は無理」と拒否してきました。ちょっと変に過敏になってしまって、先生が合うかどうかをすぐに見極めてしまうようになったんです。

先生が「おいで」とか「大丈夫だよ」と声をかけてくれると、不思議と学校に行けるんです。やっぱり先生の存在って大きくて。逆に「この先生は無理」となったら、別室登校になったり、家にこもったりしていました。

井ノ口

学校に行けない時期には、フリースクールなどには通っていたんですか?

中西

いえ、通っていなかったです。私の場合、小学校では特別にもう一つ教室を作ってもらって、先生と一対一で過ごすような形をとっていました。中学校にも専門の部屋があって、そこに通っていました。自分に合う「居場所」としてのフリースクールは近くになかったし、仮にあっても合わない感じで。

だから基本的には学校内の別室で過ごしていました。勉強というよりも、先生と折り紙をしたり、好きなことをして過ごしていました。元気がなくて、勉強に気持ちが向かない時期も多かったです。親も「とりあえず学校に行ってくれればいい」と言ってくれていたので。

井ノ口

やっぱり最初はお父さんお母さんも心配されましたか?

中西

はい。もうめっちゃ。何回もぶつかるんですよ。「なんで行かないんだ」って。でも私自身も、なぜ行きたくないのか、分かっているようで分かってないんですよ。

井ノ口

当時は、まだ7歳ですもんね。

中西

そうなんですよ。私も、なんか違う理由を言ってみたりしてて。親も、「もう訳わからへん」みたいな感じになってたんですけど…。でもやっぱり、周りの友達も「先生が怖い」って言い始めて。それで、「学校行けへん」っていうのを少しずつ聞き出してくれて。

「あ、ちょっとうちの子もそうなんかな」って、親のほうが先に気づいたんですよね。そのきっかけがあって、「じゃあもう休み」って親が言ってくれるようになってからは、それでもぶつかることはあるけど、だいぶ親子関係も良くなったというか…そんな感じですね。

井ノ口

そうなんだ。高圧的な先生だったんですね。

中西

うん。そうだったと思います。

井ノ口

2、3年後に「先生が怖かった」とか、当時のことをカミングアウトできるようになったきっかけって、何かあったんですか?

中西

特別なきっかけがあったわけではなくて……。あるとき、車の中でお母さんと、「3年生の担任の先生ってどんな人だった?」って話していたんです。私は「雲みたいにふわふわしてて、あったかい先生だった」と言っていて。そこから「じゃあ去年まではどうだった?」って話になったときに、自然と「しんどかった」と言えたんです。たぶん、「今」が落ち着いて、安心できる場所があるから、「過去」を振り返ることができたんだと思います。

井ノ口

うんうん。

中西

お母さんも「何が嫌だったの?」と聞いてくれて、「そうだったんだ」と受け止めてくれたことで、一気に話せるようになりました。本当に怖かったこととか、しんどかった事実も含めて全部。ああ、やっぱりあのとき辛かったんだなって、自分でも確認できた気がします。

学校に居場所はあった?

井ノ口

学校に「居場所がある」と感じることはありましたか?「この先生は良かった」と思えるような。

中西

ありました。それこそ3年生の担任の先生は、本当に初めて「学校ってこういう場所なんだ」って教えてくれた人でした。今までは抑えつけられていたけど、「自由にしてもいいんだ」と思えるようになったし、勉強だけじゃなくて、社会的なことも学べる場所なんだと教えてくれた。そういう先生に出会えたことは、本当に大きかったです。逆にその先生じゃないと不安で、他の授業は受けられない時もありました。

不登校になったきっかけは、心ない言葉を投げかけられて傷ついた経験でしたが、その分、いい大人にもいっぱい出会ってきたなと思います。

井ノ口

なるほど〜。愛ちゃんは、フリースクールに行くというよりは、「学校に行きたい」という思いがあったんですか?

中西

そうだと思います。私は本当に「学校に行かなきゃ」「行けるようになりたい」とずっと思っていました。家で学校に行っていない状態でも、ずっと頭の中は学校のことでいっぱいで。ゲームをしていても学校のことが気になって、実際は心が全然休まっていなかったと思います。休んでいるようで、頭はフル稼働というか……。しんどい時間だったと思います。

井ノ口

朝に「休む」と決めても、「今日も休んでしまった」とか「勉強が遅れてしまう」とか、罪悪感がありますよね。

中西

あります、本当に。親は共働きだったので、学校を休むたびにどちらかが仕事を休んでくれていたんです。それが申し訳なくて…。親に「行ってよ」と言われて「嫌だ」となると家庭の空気も悪くなって……。親が悲しむのも辛いし、お姉ちゃんもいて、引っ張られそうになりながらも頑張って通っていたので、余計に辛かったです。

コロナ禍を先取り?

井ノ口

それは辛いですね…。

私にとって大きな転機は、コロナでした。みんな一斉に学校を休むという状況になって、「学校に行かなくてはならない」という感覚から少し解放された気がして……。

中西

私はちょうどそのとき、高校生で通信制に変わるタイミングでした。家でパソコンで授業を受けて、Zoomで先生と話す。だから、「コロナで困ってる人いるけど、私全然困ってない」って感覚でした。周りの子たちは「修学旅行に行けない」って悲しんでいたけど、私は最初から通信制で修学旅行もなかったし。

お母さんとも「一番いいタイミングで通信に移ったよね」って話してました。

井ノ口

時代を先取りしてたんですね!

中西

はい(笑)スクーリングもコロナで全部オンラインになって、引きこもり生活には最適な状況でした。

ただただ、寄り添ってくれる大人の存在

中西

親が仕事行ってる間、私はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に留守番してたんですよ。でね、おじいちゃんが私の中ではすごく「救ってくれた人」なんです。

学校行ってなくても、一切理由を聞いてこなかったし、「なんで行かへんの?」とかも言わへんくて。ただニコニコ見守ってくれてて、一緒に「病院ごっこ」して遊んだり、「遊ぶの楽や〜」とか言ってくれたりして(笑)そういう存在が、当時の私には本当にありがたくて。

やっぱり、その時その時で、私に安心を与えてくれてた人がいるから、今があるというか、生き延びてこれたなっていうのはありますね。

井ノ口

うんうん。やっぱり、休むことに罪悪感って生まれがちですもんね。

中西

不登校って、悪いことじゃないんです。だから、不登校を認めてもらえると、自分自身を認めてもらえたような気がして。
「ああ、自分の選択はこれでよかったんやな」って思えるんですよね。
そういうふうに感じられることが、私はこれまで、おじいちゃんとの関わりの中で、けっこうあったなって思います。

井ノ口

本当に素敵なおじいちゃんですね。私もついつい、「なんで学校行かへんの?」とか聞きたくなってしまうけど、そんなことは本人が一番考えてるっていうか。「行ったほうがいいで」とかも、そんなん本人が1番わかってるんですよね。

ただただ「寄り添う」力が、自分も試されている気持ちになります。

中西

私も、自分の目指す姿というか…
おじいちゃんとか、これまで助けてくれた先生たちみたいな、
あったかい人になりたいなって、すごく思ってます。


toiroを運営する中でも、
やっぱり今まで出会ってきた大人たち――
おじいちゃんや、小学3年生のときの担任の先生、その後に出会った先生たち――
そういう人たちの接し方を、自然と意識してる気がします。
「こんなふうにしてくれてたな」って、思い出しながら。


私の中に、ひとつ大きな思いがあって。その先生たちがくれた温かさを、私ひとりで止めておきたくないんです。

あんなにあったかい人たちの思いを、私だけが受け取って終わっちゃうのは、すごくもったいないなって。だから、それをつなげていきたいって、すごく思ってて。

私が関わる人たちにも、その温かさが少しでも伝わったらうれしいし、
私に関わってくれる人にも、影響があったらいいなって思うんです。今までもらってきた「安心」とか「大丈夫」っていう感覚を、次の子たちに、ちゃんと渡していきたい。そんなふうに思いながら、今の活動を続けています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?愛ちゃんが、かつて傷ついた経験を持ちながらも、「素敵な大人に出会えた」と笑顔で語っていたのが、とても印象的でした。次回は、不登校の子が陥りやすい心理状態や生活習慣など、いわゆる「あるある」について、2人で話していきたいと思います。

最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは、また来週お会いしましょう。さようなら。

この記事を書いた人

Inokuchi Tamakiのアバター Inokuchi Tamaki 学校行かないカモラジオインタビュアー・Flyingエディター兼ライター

学校行かないカモラジオインタビュアー・Flyingエディター兼ライター。
2002年生まれ、滋賀県出身。同志社女子大学卒業。大学在学中に藤原辰史『ナチス・ドイツと有機農業』に影響を受け、ドイツの有機農家でホームステイを経験。人と自然の関わり、政治や教育のあり方に関心を持ち、各地で取材を行っている。

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