#2「 小学校の先生として、不登校の子どもと日々向き合っていた時、やっていたプチ挑戦とは?」ゲスト:伊藤いつかさん(2024.04.08 配信)

この記事は、『学校行かないカモラジオ』の内容をもとに編集・再構成した文字起こし記事です。

今回は、社会福祉士であり、市民活動団体「おうみ子ども・若者未来のタネプロジェクト」の代表を務める伊藤 いつかさんをゲストにお迎えしました。伊藤さんは小学校の教員として長年にわたり不登校の子どもたちと関わってこられました。今回は、教員時代にどのようなアプローチをされていたのか、またその経験から感じたことについてお話を伺いました。

伊藤いつかさん
社会福祉士。市民活動団体、おうみ子ども・若者未来のタネプロジェクト代表として、滋賀県の各市町村にあるフリースクール等をまとめた「学校に行きづらい子どもたちのためのサポートブック」を制作。4児の母でもあり、過去には小学校教諭として約10年勤めその後、県や自治体のスクールソーシャルワーカーとして務めていた。

井ノ口

まず最初に、いつかさんが先生をされる経緯について教えてください。

伊藤

私はもともと福祉の仕事をしていました。長男を出産した後、1年ほど病院で高齢者の介護をしていたのですが、その経験を通じて「子どもの教育が大切だ」と強く感じ、教員免許を取得しました。
最初は京都で4~5年ほど教員をして、その後、シングルマザーとして子育てをしながら浜松で3年間勤務しました。その後、滋賀県に移り、特別支援学級の先生を務めたり、教育委員会でスクールソーシャルワーカーとして4年間活動したりしました。合計すると、学校現場には15年ほど関わっていたことになりますね。

井ノ口

先生として働く中で、不登校の子どもたちに出会うことはありましたか?

伊藤

はい、たくさんいました。特に最初に赴任した学校では、耳の聞こえない保護者を持つ子どもや、家庭環境が複雑な子どもが多く、不登校の問題に直面することが多かったです。
例えば、学校の隣に団地があったので、朝の「中間休み」にダッシュで家庭訪問をして、学校に来れない子を起こしに行くこともありました。当時はスクールソーシャルワーカーの制度が整っていなかったので、担任としてできる限りのことをしていましたね。

井ノ口

それはすごいですね。先生自らが家庭訪問をしていたんですね。

伊藤

はい、でも限界も感じていました。一人の先生がすべて対応するのは難しいですし、クラスの子どもたちも見なければなりませんからね。

井ノ口

不登校の子どもたちのために、遠隔授業を取り入れたこともあると伺いました。

伊藤

はい、浜松で勤務していたときの話です。ある年、自閉症の診断があり、場面緘黙の傾向がある子どもを担任しました。その子は教室には入れなかったのですが、隣の小部屋には入れるとわかりました。
そこで、その部屋にタブレットを設置し、私が授業をしている様子をライブ配信する形で授業に参加してもらいました。当時はまだICT教育が進んでいなかったので、こっそり試みた形でしたが、子どもにとっては良い学習環境になったと思います。

井ノ口

まさに今のオンライン授業の先駆けですね!

伊藤

そうですね。ただ、支援員の方がいない時間はその子が一人になってしまうことがあり、試行錯誤の末、継続は難しいという結論になりました。でも、「学びたい」という気持ちを大事にする取り組みとしては価値があったと思います。

井ノ口

近年、タブレット学習やオンライン授業が普及してきました。不登校の子どもたちにとって、少しずつ学びやすい環境になってきていると感じますか?

伊藤

確かに、以前に比べれば学びの選択肢は広がってきました。でも、不登校の背景には、発達特性や家庭環境、学校でのトラウマなど、さまざまな要因が絡んでいます。ただの「学校に行けない」という状態ではなく、もっと奥深い問題があることを大人が理解しないといけません。

井ノ口

なるほど。不登校は単なる現象ではなく、もっと根本的な課題があるんですね。

伊藤

そうです。子どもたちが安心して学べる環境を作るためには、学校のあり方そのものを見直す必要があると思います。実際、多くの人がすでに問題提起をしているので、あとは現場の先生たちがどう変えていくかが鍵ですね。

井ノ口

たしかに、教育現場の変化が求められていますね。

まとめ

第2回のカモラジオでは、伊藤いつかさんにお話を伺いました。小学校の先生を通じて、子どもたちが学びやすい環境を模索し続けてきたことが伝わってきました。しかし、担任の先生の努力だけでは、限界もあるようです。次回は、伊藤さんがスクールソーシャルワーカーとして経験されたことについて深掘りしていきます。お楽しみに!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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この記事を書いた人

Inokuchi Tamakiのアバター Inokuchi Tamaki 学校行かないカモラジオインタビュアー・Flyingエディター兼ライター

学校行かないカモラジオインタビュアー・Flyingエディター兼ライター。
2002年生まれ、滋賀県出身。同志社女子大学卒業。大学在学中に藤原辰史『ナチス・ドイツと有機農業』に影響を受け、ドイツの有機農家でホームステイを経験。人と自然の関わり、政治や教育のあり方に関心を持ち、各地で取材を行っている。

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