レポート[Class03]第1回講義

会場からの眺め(琵琶湖)

11月4日に、滋賀大学彦根キャンパスにて、Class03 “私たち×公共の方程式”の第1回講義を行いました。こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

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写真(真ん中)宗野隆俊さん

Report

Class03 “私たち×公共の方程式” 第1回講義 2017.11.4
てらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”(講師:宗野隆俊/滋賀大学経済学部教授)

レポート(谷口嘉之さんから)

「公共」って何かわかりにくい…。てらすくらすClass 03の1回目では「公共」という言葉や関わり方を中心に講義や意見交換が進んだが、私は未だモヤモヤした感じを残しながらこのレポートを書いている。

まず今回の講義のキーワードであった「公共」への政治的関与、市民的関与(さらに市民的の中に自発的なものと強制的なもの)という話は理解できるし、実際にそうなっていると思うのだが、肝心のその対象である「公共」の実体が見えてこない。

役所、学校、図書館、公民館、病院、道路、公園…等、いろいろな公共施設やインフラがあるが、それ自体が「公共」というわけではない。法律や条例などの決まりごとや仕組みがつくられてもそれだけでは「公共」にはならない。周囲の市民がそれらにどのように関わるかによって「公共」が形づくられると考えればどうだろうか?それぞれの人が自分の立ち位置から、思い思いにそこに関わろうと手を出し合った間にあるのが「公共」の形になるのかもしれない。手を出す人が多ければ、「公共」は広がり、密度が上がって周囲の人に実感される。関わる人が少なければその逆で存在が希薄になる。「公共」という実体があるわけでなく、みんなの関わりが「公共」そのものかもしれないと考えた。更には自分の立ち位置をいろいろ変えながら関わっていくと「公共」の形はその時々に姿を変え、柔軟で強いものになるのかもしれない。

冒頭のモヤモヤは解消されていないが、今回のてらすくらすの講義が進む中で何か発見できそうな、理解が深められそうなワクワクとした感覚もある。
今後の講義も楽しみである。

情報交換する谷口さんと宗野さん

 

レポート(根木山恒平さんから)

てらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”がいよいよはじまりました。
全4回をとおして、「人びと(私たち)が、いかに『公共』にかかわることができるのか」を学んでいきます。第1回講義は、講師の宗野隆俊さんから2つの話題提供(講義)をいただきました。

☆前半は「公共のことがらにどう関わるか―『市民的関与』から考える」という話題。
いま、日本だけでなく、先進国と言われる各国にて議会選挙(国政)の投票率が低下していて、政党や議会への信頼度も下がっているそうです。(日本だけの現象ではないんですね~)「宗野さんからは「代表制デモクラシーという枠の中の公式の政治過程とは別の形で公共のことがらにアプローチすることも可能ではないか?」という問題提起がありました。

そう、私たちは、ついつい「選挙に投票する」、「立候補する」、「候補者を応援する」と言ったことを公共への関わり方だと思ってしまいがちですが、宗野さんによると、そうした伝統的な政治的関与(political engagement)以外にも、路上でデモをしたり、SNSで政治的な議論をするなどの新しいタイプの(非伝統的な)政治的関与もあるし、さらに、地域コミュニティの活動に参加することや、ボランタリーな活動、スポーツクラブへの参加や教会などの慈善活動に参加することもまた、私たちが「公共のことがら」に関わることなんですよ、と教えてくれます。これらを「政治的関与」と区別して「市民的関与」(civic engagement)と言います。

宗野さんが研究されているアメリカ社会には、開拓期(1800年代)以来の伝統として、私人と私人が何人か寄って公共のことがらを担うという習慣があるそうです。

この感覚は、日本社会で暮らす私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。みなさんは、どう感じられますか?
「私」という個人が気づいた公共の課題に対して、「市役所にどうにかしてくれ」と陳情するのではなく、隣にいる「あなた」という個人や、さらにほかの人びと(個人)に声をかけて協力して、自ら課題解決にあたるという姿勢です。

「おや?」っと思われた方もいるかもしれません。私たちが暮らす滋賀には、500年以上つづくと言われる「惣村自治」の伝統があります。かつての集落において人びとは「結」とか、「講」といった言葉がいまに残っているように、村人相互の助け合いで村のさまざまなことがらにあたっていたと言われています。

☆つぎに後半の話にうつります。
後半は、「公共のことがらに関わる民間の事業主体―サンフランシスコの住宅問題とコミュニティ開発法人の活動」という話題提供をいただきました。

宗野さんが研究されたアメリカの西海岸、カリフォルニアの都市サンフランシスコでは、1960年代に都市再開発に対して住民の反対運動があり、そうした運動を起源として「コミュニティ開発法人」という民間の非営利組織が、中低所得世帯向けの住宅供給事業を担い、同時にコミュニティの中での住民の懇親や助け合いを支える役割を担っているそうです。さらに、近年においては、こうした住宅開発事業にあたって、民間の金融機関からの資金調達など、とても洗練されたビジネスノウハウを取り入れた事業経営が実現しています。また、連邦政府や州政府などが、コミュニティ開発法人に対して補助する制度が立法されているそうです。

☆宗野さんからの話題提供のあとに、参加者との意見交換を行いました。ある参加者からは「滋賀の地域社会にも自治会というものがあり、行政は自治会の組織率で自治の程度を表現するが、実態は旧来型の窮屈な気風が色濃く、住民が自治会の中で自発的に発言したり、行動したりすることはあまりない見られない」ということでした。これに対して宗野さんからは「欧米の『市民社会』においては、ひとりひとりの市民が、自ら考え、他者と対話し、行動するための『心の態度、作法』が涵養されていることが求められるが、日本社会において、それがなされているかどうかが問題」という応答がありました。

また、別の意見では、「日本の憲法では、政府が国民の最低限度の生活を保障する責務が規定されていて、それに基づき国や県、市町が役割を担っている。言葉たくみに、政府の責任を放棄して、国民に押し付けることがあってはいけない」と言ったご意見もありました。他方で「アメリカでは、なぜ民間組織に任せるのか?どこにメリットがあるのか?」といった疑問が出され、宗野さんからは「政府が直接やるのではできない専門性や、市民のニーズに応じた運営というものができるのが、コミュニティ開発法人の強みだと思う」という応答がありました。
この辺りの問いには、結論を得たわけでなく、参加者の間でもモヤモヤとした雰囲気が残りました。これは第3回講義「新しい公共―行政の民営化って?」とも通じるテーマであり、「今後の講義の中でひきつづき意見交換していこう」ということになりました。

そんな感じでスタートしたてらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”です。残り3回の講義の展開がとても楽しみです。

 

 

(参考文献)

『市民的関与とはなにか』(論文)
宗野隆俊 /Takatoshi Muneno
滋賀大学 経済学部 / 教授
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/412/muneno.pdf