レポート[Class02]第4回講義


紅葉で色づく大津・唐橋近くにあるmomo庵にて、アミタの熊野会長を講師に迎えたてらすくらすClass02 “共感の経済でつくる未来”の第4回講義を行いました。今回のお題は「共存経済の駆動力を考える~投票行動から購買行動で社会を変える」でした。終了後は、毎回恒例となった懇親会でもにぎやかな時間をすごしました。

こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
> 杉江香代子さんから
> フォト・レポート

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Class02 “共感の経済でつくる未来” 第4回講義 2017.11.20

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レポート(坂本彩さんから)

共存経済の駆動力を考える

今回の熊野クラスで 4 回目。いよいよ、だんだん、「じゃあ、私はこれからどうする?」が具体的になってきた。

今回のテーマのなかにある、「共存経済」という言葉。最初にそのお話があった。

「昔の商売は、地域の中でしていた。材料もその地域の中で調達していた。“○○さんの作る材料がええから、うちの△△もええもんができるんや~。”とお互いの顔が見える中で商売をしていたので、“あそこの商品がよう売れるんは、うちが出してる材料がええからや~”と、自己肯定感が上がった。しかし、工業化が進むと、範囲が広がって顔が見えなくなる。価値がわからなくなる。価値がわからないから、“どれだけもうけたか”の数字だけで見るようになってしまった。そうすると、もうかったほうが良いことになるので“買い叩く”ということになる。」

とても納得のいく話だった。生きていたら、「数字にならないこと」がある。いや、数字で表せないことの方が多いいんじゃないかと思う。でも、全部、数字で表そうとしてしまう。そうすることが、自分の感覚や感性をも、狂わせてきているのではないだろうか。

私は、最近、漢方の勉強をするようになったのだが、その中で
「もともと知ってたことやん。なんで今できひんの?」
「もともとできてたことやん。なんで今、忘れてるん?」と感じる。
自分もそうなので、あきれてしまう。「なんで、忘れてたんやろう。」
疲れたら寝ることや、寒い日は暖かいものを食べることや、お弁当に梅干を入れる事。

最近になって科学的に解明されてきたことも多い。しょうがを食べたら体が温まる。昔の人は、それは体感で知っていたから引き継いできた。冷える時期には料理にしょうがを使って体を温めて体調を崩さないようにした。最近、ショウガオールと言う成分を見つけ出す技術ができて、「ショウガオールという成分が体を温める」と証明した。そうなると、いろんなテレビや雑誌で、いろんなグラフとかで数字をだして「ショウガオールがこんなにすごい!」と騒ぎになって、「ショウガオールがすごいからしょうがを食べよう。」となっている。いや、それは知っていたはずなのに。蒸したショウガの方がショウガオールの効果が○○倍だから、蒸そう、とか。いや、それも私たちは知っていた。漢方の生薬では生姜をそのまま干した「生姜」(ショウキョウ)と、蒸してから干した乾姜(かんきょう)で別に扱う。乾姜の方が温める効果が高いとされて、漢方薬に使うときにはどちらを使うか、症状に合わせて変える。

数字で証明されて初めて信じようとしてしまう自分が、なんか情けないなと思う。自分の身体の声を聴いて、「おい、あったまったか?もうちょっと濃いの飲むか?」と見えないものを感じ取れる自分になっていきたいなと思う。

熊野さんは、「経済=お金」ではないですよ。と言っていた。ここでも数字にとらわれている自分が出てくる。お金にとらわれないで、「暮らし」全体を考えてみる。お金はいったいなにに必要なんだろう?お金がなくてもクリアできることはなんだろう?私は、2 年前に体調を崩して仕事を辞めた。定収がなくなってものすごく不安になった。いろんな本を読んで、いろいろ計算して、節約して、やってみた中で、案外、なんとかなったのは日々の食費だった。けっこう野菜をもらえるし、最近は体が肉をそんなに欲しなくなってので、まあ、あるもんでなんとかなる。意外ににどうしようもなかったのが「交通費」だった。

友だちに会いに行くにも、聞きたい話を聞きに行くにも、勉強しに行くにも、実家に帰るにも、なにをするにも「移動」にお金がかかった。大阪の漢方スクールに通うために「昼得きっぷ」の使い方を覚えた。こんなに安くなるのかとびっくりした。それでも往復したら家から駅までのバス代も入れて 2,000 円近くかかった。歩ける日は駅まで歩くようにした。

「移動」ができないことは人を孤立させる。障害者福祉の仕事をしていて、痛いほど感じてきたことだ。車いすの人も、切符が買えなくてひとりで電車に乗れない知的障害の人も、人の目が怖くてバスに乗れない精神障害の人も、「移動支援」はその人と社会をつなぐ大切な制度だった。ヘルパーの移動支援は、ひと月 25 時間しか使えない制度だったけど。

そう考えると、これから 10 年、20 年と高齢期に向かっていく自分の住まいを考える時、交通機関のない田舎に「村」を作るというのは、私には非現実的に思えた。そこで孤立してしまうのではないか。そのため、最後のグループワーク「適地の選定」と「未来設計」を描く」では、「30 年前くらいに分譲された新興住宅地」を考えた。高齢化が進み、高齢者世帯のみになって空き家も目立ちだすような地域。例えば、その地域内に、高齢者専用の介護付きの住宅のようなものをつくり、そこに地域内の高齢者で希望する人に元気なうちに移り住んでもらう。空いた家はリノベーションして若い人が転居してくる。その若い世代は自治会の活動などに参加してもらう。元気な高齢者には、昼間はお惣菜を大量に作ってもらい、共働きの夫婦が帰りに寄ったらおかずを受け取れる。そんな仕組み。お金の問題や細かいことは、次回ゆっくり考えたい。現実的な絵なのではないかと思う。

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レポート(杉江香代子さんから


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フォト・レポート

 

 

 

レポート[Class03]第3回講義

てらすくらすClass03 “私たち×公共の方程式”の第3回講義を、1月17日に、ほっこりカフェ朴にて行いました。
こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 渡部秀夫さんから
> 谷口嘉之さんから
> 根木山恒平さんから

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Class03 “私たち×公共の方程式” 第3回講義「新しい公共 ―― 行政の民営化って?」
2017.1.17@ほっこりカフェ朴

レポート(渡部秀夫さんから)
・忘れ去られた日本人

今回初めに受講者全員で共有したいこととして紹介されたのが、「あなた自身の社会(スウェーデンの中学教科書)」という本にある「さまざまなコミューン」の記事でした。実はこの本、8年ほど前に購入したまま読んでおらず、行政学の分野で再会したことに少し驚きました。そうか、この本は領域内なのかと。そう思うのは、「行政学って分野がやっぱりよくわからん。一体なんじゃろ?」というのが第一回目の講義から何処かにずーっとあったということです。

Wikiで調べると19世紀末にアメリカで生まれた政治学の新しい領域と書いてあります。へぇ、知らなかった。政治学と言えば丸山眞男の本を読みたいと思っていました。そうか、トクヴィルとパットナムを取り上げたのなら日本人の政治学者も何人か上げて欲しかったなあ、と今になって思います。

しかしまあ、人々は昔から共同体の運営に悩みあれこれ思案しているものですね。

本に取り上げられている「あなた自身の社会」という題名の根拠と解説、中学生に向けられた課題の連携プレーは素晴らしく、北欧は良いところ感がさらに増す。EDENなんて存在しないとは知りつつも。

かたや自分が住む地域で新春におこなわれる寄り合いと言えば、途切れた関係性を「町内」という言葉で無理矢理つなぎ合わせたようなぎこちなさがあります。かといって都市部のように普段から住民同士が疎遠なんてこともない。ご近所さんから野菜が届くなんてのは日常茶飯事で、お礼も兼ねてついでに雪かきすると、野菜が倍になって返ってくる。

スウェーデンの立派な中学生とは違って、初寄りが一体いつから行われているか調べたこともない私が帰郷して関わるようになった「寄合」から得ている印象は、近代的個人主義と家父長制のお見合いという今すぐ逃げ出したくなるような修羅場。

去年、地元の中学校の文化祭で「ワールドカフェ〜地域で住み続けるために〜」という公開型の催しがありました。そこで出た中学生の意見は「有名遊園地を呼ぶ、企業誘致、マンション建てる」等々、まちづくり系のイベントで大人が出す意見とさほど変わりません

。自分自身が社会を構成する1人なんだという当事者意識を前提に、学生と一緒になって自分が住む地域のことを考える機会を設ける大切さを痛感します。

・公共→新しい公共→ネオ公共→ネオ公共Z

そして今回の本題「新しい公共と協働」へと講義は進みました。

資料に紹介されている総理大臣施政方針演説と新しい公共宣言は当たり障りのない文章で、新しい公共とか絆とか本当こういう言葉遊びが好きだなーと白けます。白けるようになってしまった。日本の選挙活動も同じく生まれてこのかた白けっぱなし。嗚呼、私と政治が遠くなる。

少し調べると、新しい公共宣言を出した新しい円卓会議(新しい新しい鬱陶しい)は2012年で活動を停止。見落としているだけかもしれませんが、引き継がれている様子はありません。もっと身近な市の職員さんとのやりとりでも、「担当が代わって引き継がれていない」なんてことはざらにあります。モチベーションが途切れているなんてことはさらに!

博識家や専門家、企業家に政治家が閉じた空間に集まって一定期間話すことで何かが良くなるなどという物語はもはやハリウッドでも飽きられているはず。最後の飾り付けに集めても無駄にしか思えません。

教育が変われば全てが好転するなどと呑気なことは思わないけれど、多様な教育の在り方を認める教育基本法へと整備され、早くから自分を取り巻く関係性について深く知り学んでいけるようになるって重要だなってやっぱり思いました。

過疎地、現代地方の共通する問題に取り組む一例として、徳島県にある木屋平の活動事例が紹介されました。それを聞いて連想したのが米原市大野木にある大野木まちづくり会社です。自分たちの住む場所は自分たちでなんとかする、と明快な共同体の自恃があり、結成から6年も経たず総務省や全国の自治体から視察が訪れるようになりました。

去年は名古屋から子連れの一家が移住。その家族は半年も経たない内にプレーパークを開設。この早さ、米原市との様々な「協働」も上手くいっている証左でしょうか。

要するに大野木という場が活性していると言い表せるのかもしれません。

NPM x マジ卍

今回の講義を聞いても、私はやっぱり「近代とは何か」というところに落ち着きました。効率主義、合理主義の行く末にあるのは、シンギュラリティに淡い期待を抱いてただ待つだけの受動的姿勢ではないかと思うのです。私は七転八倒、色々な人と関わり合いながら試行錯誤していく方が面白いです。私は研究者ではなく、暮らしの実践者でありたいことを改めて自覚しました。もう耳触りが良いだけの「何だか新しそうな何か(しかも使い捨て)」は御免無用。立場を超えて、名前で繋がる関係、人と人との関係性を取り戻したつながりで暮らしを再生していきたいな。

行政学によってあぶり出される機微を感じ取ることや、細分化されたことで知れる視座を新たに得ることはできませんでしたが、これは自分のキャパシティの問題。受け取る器を作りだす知識や経験値の単純な不足。

蒔いてくださった種を実らせられるようにこれからも努めていきたいです。

レポート(谷口嘉之さんから)

※準備中

レポート(根木山恒平さんから)

※準備中

 

 

レポート[Class03]第2回講義

ほっこりカフェ朴にて

てらすくらすClass03 “私たち×公共の方程式”の第2回講義を、12月1日に、ほっこりカフェ朴にて行いました。
こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 谷口嘉之さんから
> 中谷志野舞さんから
> 根木山恒平さんから
写真左)宗野隆俊さん

Report

Class03 “私たち×公共の方程式” 第2回講義 2017.12.1@ほっこりカフェ朴

朴さんのあたたかな空間にて

レポート(谷口嘉之さんから)
今回のテラスクラスでは「遠くなる自治」をテーマとし、上越市の市町村合併に伴う地域協議会の事例が取り上げられた。
合併により旧町村が解散し役場や議会がなくなる一方で、自治体規模は大きくなり、市民の身近にある地域課題をどう取り上げ、解決していくかということが問題となる。これに対し、「自治体内分権」という考え方があり、合併により大きくなった市のなかに小さな規模の区域を設定して、その区域内に意思決定する機関を置く仕組みがつくられている。2004年の地方自治法の改正で規定された「地域自治区」がそれに当たり、上越市では現在28の「地域自治区」が設けられ、それぞれに「地域協議会」が組織されている。
ここでいつものモヤモヤが私の頭の中に発生する。行政の仕組みとしては手薄になった地域社会の課題をこの「地域協議会」で拾い上げることになっているが、市民サイドからはどう見えているのか?「地域協議会」は国の法律に基づき、市が条例で設置した組織である。まだまだ一般市民からは遠く、自分たちの組織と認識はされるレベルではないだろう。個人と「地域協議会」の間に、更に小規模でインフォーマルなグループが必要ではないだろうか。ここの接点が大切である。それは従来、市への意見や要望を取りまとめてきた自治会のような地縁団体だけでなく、テーマ別に活動されている市民団体との関係をどう築くかということも検討すべきではないだろうか。

特製スープをあたためる薪ストーブ

 

レポート(中谷志野舞さんから)

この夏に開催された、てらすくらすサマースクールで宗野先生のプロフィールを見て驚いた。フィールドワーク先の一つとして記載されていた新潟県上越市というのは、私が育った場所だったからだ。結婚を機に滋賀県にやって来て以来、上越市出身というと、東北だっけ?(全国的には新潟県は関東甲信越地方の括り)や、雪多くて大変やね〜など比較的ネガティブな印象を受ける実感が度々あった、そんな地味な地元に注目されるとは、一体どういうことなのか?との好奇心から受講した宗野クラス。第二回目講義で市町村合併の成功事例として、全国でも取り上げられている!という上越市の事例を聞き、驚いた。
実は私、合併前の旧上越市役所で働いていて、合併は当時の市長時代に決まったものの、滋賀に来たことでその後の上越市の動向をまったく知らなかった。当時の市長は国際環境規格ISO14001を市政に導入するなど市政改革を前面に出す一方、急進的なやり方がワンマンと反発を生み、市役所内では市長派と反市長派が対立するなどの混乱があった。その後マスコミも巻き込んだスキャンダルもあり、直後の市長選で新しく当選した市長のもとで実行された1市6町7村の大型合併のその後を知らないまま、時が過ぎていた。
2004年に地方自治法が改正され、市町村のなかに地域自治区を設け(202条4)、地域自治区には地域協議会を置く(202条5)、この地域自治区と地域協議会を上越市は全国初で導入し、2005年の合併から2017年の現在も継続させているという。驚いた。合併前の市政の混乱の印象しかなかったから、合併後もさぞや大変だろう、と勝手に思っていた。
地域協議会とは市長の諮問機関、という位置づけで市長からの諮問について審議・答申するだけでなく諮問を受けていないことであっても自ら必要と考えることを審議し、市長に意見を提出する、すなわち自由審議の権限も有するという。驚いた。つまり住民の声が直接市長に届く仕組みになっているのだ。しかも市側から言われたことだけこなすだけではなく、自分たちにとって直近で緊急性の高い問題(例としてこどもセンターの開園時間の延長があげられていた)を行政のトップである市長に直接届けることもできるという。
自分の暮らす自治体で市長と住民が直接意見をやり取りするなんて聞いたことがないので(市議とのタウンミーティングのような企画はあるが。しかし、それも年に1回)、地域協議会がいかに先進的な取組みかが分かる。
ちなみにこの地域協議会、市長の諮問機関のため市長の一存でその存続が決まるらしいのだが、合併後13年経過してもまだ存続しているということは、一定の成果を上げているということで、地域によっては協議員の選任(4年毎)時に定数オーバーになり、落選する応募者もあったという。地域の特徴(過疎化の進む旧町村区域では協議委員の応募者は減少傾向。ニュータウン開発の進む新市街地や観光地化に熱心な旧市区域では増加傾向など)が数字に表れるのも興味深い。
地域の問題を解決するというと、まず自治会(町内会)が思い浮かぶ。今年、わが家は地元自治会の副会長を努めているのだが(もちろん自主的にやっているのでは無く、順番が回ってきた、しかも役職も既に決定済み、という超消極的理由です)、一年間自治会に関わってみての感想は、自治会は役員の決定から行事などあらゆる執行を慣例どおりにやることに至上命題を置いている、でした。それに比べると地域協議委員は自主応募(定員割れの場合、推薦もあるらしいが)、しかも協議会は月1回以上開催され、仕事を持ちながらの場合、負担に感じることもあるはず。でもそんなデメリットも吹き飛ばす意義が地域協議会にはあるのだろうと思う。
ちなみに私の住む東近江市には、この地域協議会に似たような機能を持つと思われる「まちづくり協議会」なるものが存在するのだが、イベント中心のまちおこし企画や委託事業(施設管理)が多い印象。
http://www.city.higashiomi.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000004/4885/28syokai.pdf
また構成員も市民団体やNPO、自治会などであり、既存の団体に所属していないと参加はなかなかハードルが高そう。中には構成員は住民全員(!)と表記している地区もあり、実際の住民の感覚とはかなりかけ離れている印象を持つ。まちづくり協議会自体の位置づけも曖昧であり、市長の諮問機関と明記されている地域協議会との違いを感じた。
もちろん地域の歴史や特徴は一概にまとめられるものではなく、どちらがいいという単純な問題ではないのだが、住民にとって最も身近な地域社会の窓口である自治会が年功序列、輪番制、半強制的加入と高額な自治会費の納入、生産性の無い議論と行事で形骸化し、今や死に体なのははっきりしている。それでもかろうじて存続しているのは、惣村や宮座の風習が強く残る滋賀県の風土も強く関係していると思う。しかし、伝統的な家や村を守る若い世代が減少し、新しくやって来た新規の住民が増えている現在、過去の貯金でつないで暮らしていくことは、近い将来にきっと破綻するのが目に見えている。誰もが暮らしの意思決定に関われる、身近な地域社会に関わる選択肢を増やすことは、わたしたちにとって急務であると思う。
ちなみに上越市の地域協議員は20代、30代も活躍しているという。機会があれば、そういう方たちにお会いし、話を聞いてみたいと考えている。

 

レポート(根木山恒平さんから)

※準備中

京大農薬ゼミの省農薬みかん

活発な意見交換がありました

レポート[Class03]第1回講義

会場からの眺め(琵琶湖)

11月4日に、滋賀大学彦根キャンパスにて、Class03 “私たち×公共の方程式”の第1回講義を行いました。こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 谷口嘉之さんから
> 根木山恒平さんから
写真(真ん中)宗野隆俊さん

Report

Class03 “私たち×公共の方程式” 第1回講義 2017.11.4
てらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”(講師:宗野隆俊/滋賀大学経済学部教授)

レポート(谷口嘉之さんから)

「公共」って何かわかりにくい…。てらすくらすClass 03の1回目では「公共」という言葉や関わり方を中心に講義や意見交換が進んだが、私は未だモヤモヤした感じを残しながらこのレポートを書いている。

まず今回の講義のキーワードであった「公共」への政治的関与、市民的関与(さらに市民的の中に自発的なものと強制的なもの)という話は理解できるし、実際にそうなっていると思うのだが、肝心のその対象である「公共」の実体が見えてこない。

役所、学校、図書館、公民館、病院、道路、公園…等、いろいろな公共施設やインフラがあるが、それ自体が「公共」というわけではない。法律や条例などの決まりごとや仕組みがつくられてもそれだけでは「公共」にはならない。周囲の市民がそれらにどのように関わるかによって「公共」が形づくられると考えればどうだろうか?それぞれの人が自分の立ち位置から、思い思いにそこに関わろうと手を出し合った間にあるのが「公共」の形になるのかもしれない。手を出す人が多ければ、「公共」は広がり、密度が上がって周囲の人に実感される。関わる人が少なければその逆で存在が希薄になる。「公共」という実体があるわけでなく、みんなの関わりが「公共」そのものかもしれないと考えた。更には自分の立ち位置をいろいろ変えながら関わっていくと「公共」の形はその時々に姿を変え、柔軟で強いものになるのかもしれない。

冒頭のモヤモヤは解消されていないが、今回のてらすくらすの講義が進む中で何か発見できそうな、理解が深められそうなワクワクとした感覚もある。
今後の講義も楽しみである。

情報交換する谷口さんと宗野さん

 

レポート(根木山恒平さんから)

てらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”がいよいよはじまりました。
全4回をとおして、「人びと(私たち)が、いかに『公共』にかかわることができるのか」を学んでいきます。第1回講義は、講師の宗野隆俊さんから2つの話題提供(講義)をいただきました。

☆前半は「公共のことがらにどう関わるか―『市民的関与』から考える」という話題。
いま、日本だけでなく、先進国と言われる各国にて議会選挙(国政)の投票率が低下していて、政党や議会への信頼度も下がっているそうです。(日本だけの現象ではないんですね~)「宗野さんからは「代表制デモクラシーという枠の中の公式の政治過程とは別の形で公共のことがらにアプローチすることも可能ではないか?」という問題提起がありました。

そう、私たちは、ついつい「選挙に投票する」、「立候補する」、「候補者を応援する」と言ったことを公共への関わり方だと思ってしまいがちですが、宗野さんによると、そうした伝統的な政治的関与(political engagement)以外にも、路上でデモをしたり、SNSで政治的な議論をするなどの新しいタイプの(非伝統的な)政治的関与もあるし、さらに、地域コミュニティの活動に参加することや、ボランタリーな活動、スポーツクラブへの参加や教会などの慈善活動に参加することもまた、私たちが「公共のことがら」に関わることなんですよ、と教えてくれます。これらを「政治的関与」と区別して「市民的関与」(civic engagement)と言います。

宗野さんが研究されているアメリカ社会には、開拓期(1800年代)以来の伝統として、私人と私人が何人か寄って公共のことがらを担うという習慣があるそうです。

この感覚は、日本社会で暮らす私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。みなさんは、どう感じられますか?
「私」という個人が気づいた公共の課題に対して、「市役所にどうにかしてくれ」と陳情するのではなく、隣にいる「あなた」という個人や、さらにほかの人びと(個人)に声をかけて協力して、自ら課題解決にあたるという姿勢です。

「おや?」っと思われた方もいるかもしれません。私たちが暮らす滋賀には、500年以上つづくと言われる「惣村自治」の伝統があります。かつての集落において人びとは「結」とか、「講」といった言葉がいまに残っているように、村人相互の助け合いで村のさまざまなことがらにあたっていたと言われています。

☆つぎに後半の話にうつります。
後半は、「公共のことがらに関わる民間の事業主体―サンフランシスコの住宅問題とコミュニティ開発法人の活動」という話題提供をいただきました。

宗野さんが研究されたアメリカの西海岸、カリフォルニアの都市サンフランシスコでは、1960年代に都市再開発に対して住民の反対運動があり、そうした運動を起源として「コミュニティ開発法人」という民間の非営利組織が、中低所得世帯向けの住宅供給事業を担い、同時にコミュニティの中での住民の懇親や助け合いを支える役割を担っているそうです。さらに、近年においては、こうした住宅開発事業にあたって、民間の金融機関からの資金調達など、とても洗練されたビジネスノウハウを取り入れた事業経営が実現しています。また、連邦政府や州政府などが、コミュニティ開発法人に対して補助する制度が立法されているそうです。

☆宗野さんからの話題提供のあとに、参加者との意見交換を行いました。ある参加者からは「滋賀の地域社会にも自治会というものがあり、行政は自治会の組織率で自治の程度を表現するが、実態は旧来型の窮屈な気風が色濃く、住民が自治会の中で自発的に発言したり、行動したりすることはあまりない見られない」ということでした。これに対して宗野さんからは「欧米の『市民社会』においては、ひとりひとりの市民が、自ら考え、他者と対話し、行動するための『心の態度、作法』が涵養されていることが求められるが、日本社会において、それがなされているかどうかが問題」という応答がありました。

また、別の意見では、「日本の憲法では、政府が国民の最低限度の生活を保障する責務が規定されていて、それに基づき国や県、市町が役割を担っている。言葉たくみに、政府の責任を放棄して、国民に押し付けることがあってはいけない」と言ったご意見もありました。他方で「アメリカでは、なぜ民間組織に任せるのか?どこにメリットがあるのか?」といった疑問が出され、宗野さんからは「政府が直接やるのではできない専門性や、市民のニーズに応じた運営というものができるのが、コミュニティ開発法人の強みだと思う」という応答がありました。
この辺りの問いには、結論を得たわけでなく、参加者の間でもモヤモヤとした雰囲気が残りました。これは第3回講義「新しい公共―行政の民営化って?」とも通じるテーマであり、「今後の講義の中でひきつづき意見交換していこう」ということになりました。

そんな感じでスタートしたてらすくらすClass03“私たち×公共の方程式”です。残り3回の講義の展開がとても楽しみです。

 

 

(参考文献)

『市民的関与とはなにか』(論文)
宗野隆俊 /Takatoshi Muneno
滋賀大学 経済学部 / 教授
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/412/muneno.pdf

受講者を募集します!!Class03“私たち×公共の方程式”

「未来のための公共」を学ぼう
⇒受講者募集中です!

11月より、Class03“私たち×公共の方程式”を開講します。

講師は、9月のサマースクールにつづき、滋賀大学の宗野隆俊さんにお願いしました。

11月4日(土)からスタートし、来年2月までの全4回で行います。

ぜひ、一緒に、“私たち×公共の方程式”について学びを深めましょう。

⇒詳しくは、講座(Class)のページにてご覧ください。
http://aoibiwako.org/terrace_class/class03

レポート[Class02]第3回講義


秋の風がふきだした大津・唐橋近くにあるmomo庵で、Class02 “共感の経済でつくる未来”(熊野クラス)の第3回講義を行いました。「未来設計を考える。~人間性を取り戻す社会とは?」というテーマで、熊野さんからの講義、グループディスカッション、講義、ディスカッション・発表、講義、質疑応答、懇親会(希望者のみ)と、とても濃密な時間をすごすことができました。

こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
> ダイジェストムービー
> フォト・レポート
講師の熊野英介さん

Report

Class02 “共感の経済でつくる未来” 第3回講義 2017.9.30

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レポート(坂本彩さんから)

私は、今回の講義を聞いて「私のやろうとしている方向性はまちがってない!」と思えて、とてもうれしかった。

新しい社会を作る、ということは、今まで、みんなが見たことないものを作ろうとすることだ。そうすると、過去の知っていることと照らし合わせた時、私たちは不安になる。だ
って見たことないから。「それでやっていけんの?」と思う。あたりまえだ。見たことないから。しらないもん。

私自身のことを少し書くと、2 年前に病を得て、長年働いた職場を離れた。それはもう、私にとっては、身体を半分引きちぎって泣き叫びながらおいてくるような作業だった。でも、「病を得て」と書いたのは、まさにその通りで、「じゃあ、私はこれからどう生きるの?」と言うことをすごくすごく考えたことで、私は大切なことにいっぱい出会えた。「てらすくらす」もそのなかのひとつだ。今まで障害者福祉の世界にどっぷりと浸かりこんで生きてきた私が、少しその世界を飛び出したら景色がまるで違って見えた。大好きな障害のある人やその家族と一緒に生きることをもっともっとステキにしていけるようなワクワク感に出会えた。私のライフワークは変わらない。私の軸はぶれないし、変わらないんだけど、でも、もっともっとみんなでワクワクできる社会を作れるんじゃないか、その中にあたりまえに障害のある人と家族がいるんだ、と気がついた。

そんな私にとって第 3 回目の講義は、「よし!この方向性でまちがってないぞ!」と勇気をもらえるものだった。
まだ今の社会にないことを作ろうとしている。今の社会にないものは、今の経済のシステムに組み込まれていないので、お金が発生しにくい。だから、しばらくは、私は、金銭的には苦しい生活をするだろう。でも大丈夫。今回の講義資料の最後にあった素敵な図⇒「自治的交差共同体のネットワーク社会」とやらを作れたら、大丈夫。
合言葉は「唐橋ってる?」だ。

「150 人くらい」

全体を網羅してレポートをする力はないけれど、今回の講義で私が一番印象に残ったのは、「150 人くらい」という単位。ダンバー数というらしい。人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限らしい。1990 年代に、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーによって提案されたそうな。
これくらいの人数なら、ルールを決めなくても、モラルを維持できる。しかし、これ以上になると、お互いの顔をみて、人物を把握して関係を維持できないので、「ルール」を作って集団を維持していくことになるという。ルールができるということは、同時に「ルールを破ったら罰がある」ということになり、「罰」が発生する。
しかし、産業革命以後、どんどんその集団規模は大きくなっていった。お互いの顔を把握できない。どこのだれかわからない。どんな暮らしをしている人なのかわからない。そんな中で、疑心暗鬼や不安が増長されている。そうなると、ルールを決めて、縛って、破った人には罰を与えるということが強化されていくのだなあ。
だからといって、今からもういちど、150 人単位の暮らしに戻しましょうって言うわけにもいかない。だから、戻すんじゃなくて、新しい社会を作るんだな。見たことない新しい社会。
自分たちのグループワークで出た「ほどほど感の家族っぽい暮らし方」を模索していきたい。

 

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ダイジェストムービー

※準備中


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フォト・レポート
グループディスカッションの様子

  
(写真左から)グループディスカッションの共有 会場の様子 地球未来シンポジウム2017「希望の探求」

 
(写真左から)会場内の様子

▼懇親会のお料理は、ブラフアートBRAH=art.さんにお願いしました。

  

  
(写真左から)百菜劇場の新米 ブラフアートBRAH=art.の岩原さん SHARE WILD PROJECT

レポート[Class01](目次)第1回~6回講義

⇒Class01の全6回の講義が終了しました。このページでは、各回(講義)のレポート記事へのリンク(目次)を掲載しています。

てらすくらすClass01 “経済学のめがねで現代をみる”
講師:中野桂(滋賀大学経済学部・教授)
2017年4月~9月
写真右が中野桂さん(滋賀大学経済学部教授)

<目次>

第1回講義 4月「そもそも経済学ってなに?」
⇒第1回レポート記事

第2回講義 5月「競争と独占、どっちがまし?」
⇒第2回レポート記事

第3回講義 6月「自由貿易ってどうよ?」
⇒第3回レポート記事

第4回講義 7月「自由討論」
⇒第4回レポート記事

第5回講義 8月「研究開発の経済学」
⇒第5回レポート記事

第6回講義 9月「今さら聞けないマクロ経済学」
⇒第6回レポート記事

* * *

(開催情報)
Class01 “経済学のめがねで現代をみる”
⇒開催案内のページ

 

レポート[Class01]第6回講義

夕方、ほっこりカフェ朴からの夕焼け

てらすくらすClass01 “経済学のめがねで現代をみる”がいよいよ最終回(第6回講義)を迎え、無事に終了しました。今回も、会場は彦根のまちなかにあるほっこりカフェ朴をお借りしました。今回も、受講者からのレポートと、最終回を終えての講師の中野先生から受講者にあてたメッセージをご紹介します。

> 高木あゆみさんから
> 松本茂夫さんから
> 中野桂さんから
> ダイジェストムービー
カフェ朴の中村さん

Report

Class01 “経済学のめがねで現代をみる” 第6回講義「いまさら聞けないマクロ経済」 2017.9.14

レポート(高木あゆみさんから)

今回で最後となったてらすくらす”経済学のめがねで現代をみる”。
なんだか煙に巻かれたような、そんな感覚を拭えずに終わった。毎度のことなが
ら、このレポートを読んでも当日の講義内容は全然伝わらないので、講義内容を
知りたい方は動画をご活用ください。

今回のテーマは、”いまさら聞けないマクロ経済学”。
残念なことに、ほぼ何を聞いても、どうしても、どうしても、「ふーん。」で終
わってしまう。そこから先に自分の中で何も繋がらない。だから何?てなってし
まう。まるでグレてしまったような状態である。私、多分、経済学のめがね、使
いこなせない。
経済学のめがねを使えるように努力する選択もあるけれど、多分それを選ばない、
少なくとも今の私は。第2回目のレポートでも書いたが、とにかく経済学はブラ
ックホールのように終わりのない存在に思えて仕方がないからである。理屈が理
解できなければ、それを世の中の事象に当てはめて考えることなど到底できるは
ずもなく、それをできたとしても、私の生活にプラスになるとは思えない(すみ
ません)。よほど時間をかけてより深く、時間をかけて学んでいけばいつか応用
できるようにもなるだろうし、国が変な政策を出した時に、誰かと議論ができる
ようになるかもしれない。でも、とにかくあまりにも途方もない時間がかかるこ
とが目に見えているので、私はそこのフィールドから降りることにする。
その代わりに、まともな経済学者が、世の中の様々な要素を考慮し、経済の本
来の意味である”経世済民”を実現するべく、冷静に、あくまでもニュートラル
な立場でより良い方向を、国のトップの人たちに、ちゃんと伝えて、国のトップ
の人たちはそれをちゃんと聞く耳を持って、ちゃんとそれを国民に伝えてくれる
ことを祈るばかりである。
こう言うと、他人事のように聞こえるかもしれない。でも、私たち一市民にもも
ちろんできることはあるはずだ。
まずは、選挙に行って意思表示をすることである。そのために、知ることをあき
らめないこと。まだまだ選挙の話題はデリケートな印象があるので、ぶつからず
に自分の意見を伝えるためにも、人との話し方も学ばなければならない。
次に、自分たちで成功事例をつくること。おそらく経済学でこれからの社会・経
済のあり方を、そのまともな経済学者が論ずるにしても、多種多様なサンプルが
必要になってくるはず(知らんけど)。そんな時に、自分たちがそれぞれ好きな
ことやって、それでいて”経済”が回っていて、自殺する人も少なくて、社会と
もちゃんと繋がっていて、宗教感(怪しさ)も少なくてあくまでもオープンな場
やコミュニティが提示できたら、(そしてある程度話題になれたら)たぶんそれ
はそれで日本全体の経済に影響を与えられるはず。
”コミュニティ”もおそらく、小さな地域に限定する必要はない。共通する価値
観を持った人間が定期的に寄り集まり(マルシェという単位でもありだと思う)、
それが幾層にも重なり合っているだけでもコミュニティと呼んでもいいはず。そ
の範囲がおそらく滋賀でいうと、”湖東””湖北””湖西””湖南”となんとな
くつながりがあり(もちろんそれよりも小さな単位はあるが)、そしてそれらを
まとめた大きな単位として”滋賀”というコミュニティがあったらそれでいいと
思う。その様子を見て自分以外の人間が、他人事と思うのか自分ごとと思うのか、
それはその人の判断に任せたらいいけれど、眉間にしわを寄せたり、誰かを呪っ
たりするのでもなく、ポジティブオーラを出しすぎるのでもなく、あくまでもニ
ュートラルで”なんかおもろそうやな”くらいに思わせる、”エサ”のようなも
のをチラ見せしながら、勝手に人が増えるように個々が得意なことをしていった
らいいはず(もちろんたまにちゃんと”学び”の機会を自分自身に与えながら)。
とにかく、そういう間接的なやり方でないと、私は何もできないし、そしてやっ
ぱりそういうことをやっていきたい、と改めて感じることになった6回だった。
あんまり講義内容を伝えられていなくてごめんなさい。

経済学のめがねは一旦そっと置いて、またかけたくなったらかけることにします。
てらすくらす次期講義もお楽しみに。

レポート(松本茂夫さんから)

テラスクラス01の講義が終了した。たった6回の受講で経済学の何たるかを理解できたとは、もちろん思っていない。というよりも、ますます何たるかが解らなくなったといったほうが適当な気もする。しかし、あっているかどうかの保証はべつとして、自分なりの経済学或いは経済学者のイメージ像を少し持つことができるようになったと思う。中野先生は第1回の講義の最初に、経済学を学ぶ目的をジョーン・ロビンソンの「経済学者に欺かれないため」という言葉をもって説明されたが、その意味が僕なりに、少し具体性をもって理解できるようになったということでもある。

僕の今までの経済学に対するイメージは、第1回のレポートにも書いたように、現実社会から経済現象と思われる事象を拾い上げ抽象化して、その構造や運動の法則を見出し、未来指標を現実社会に提供する学、といったものだった。そのイメージはそんなに的が外れているとは思えない。しかし今回、経済学で行われている分析的な作業をいくつか教えていただいて、そのイメージがある意味で、過大評価だったように感じられるようになった。過大評価ということは、経済学が未来を予測できるような、そんな完璧なものではないということだ。逆に言えば、人間と人間社会がいかに複雑で捉えどころがないものかということの再確認でもある。たくさんの情報や統計数値をもとに数学を利用して、現実社会の動態を捉えようとす現代経済学は、神に代わってこの世を制覇したがっているのではないかなどと勘ぐりたくもなった。それほど、理論上の説明の明晰さと現実の不確かさとの違いを感じてしまう。均衡、競争と独占、分業と交換、自由貿易など僕らが社会で漠然と行っていることを、数式やグラフで現し、効率性など合理性の観点から説明されると、なるほどなーと納得する一方、僕らがいかに不合理な幻想をいだいて行っているかが分る。この乖離。何か腑に落ちない感が残ってしまう。合理性、それって現実の一部のことでないの?合理性、それってあなたの幻想でないの?そんな疑問が次々湧いてくる。

中野先生曰く。だから「経済学者に欺かれないため」にと最初にいったでしょ。

なんだか「現在のメガネでみた経済学」になってしまったようだ。

講師からメッセージ(中野桂さんから)

受講生の皆さんへ

単発の講演会でもなく、大学のような15回の講義でもなく、という新しい枠組みの中で、私自身にとってもチャレンジングで、気づきの多い愉しい機会となりました。

受講生の皆様の最終アンケートも興味深く読まさせていただきました。

経済学者の思考方法というものに少しでも触れていただけたとしたら本望です。第1回目の講義で申し上げたとおり、彼らは単純なモデルからスタートして、徐々に様々な要素を取り入れて経済・社会の実相にいかに近づくのかという取り組みを、七転八倒しながら連綿と続けています。

しかしながら、現実はより複雑です。鉄腕アトムの例を挙げてお話ししたように、モデルでは描ききれなかったところ、捕らえきれなかったところに、人間社会の本質があるのかもしれません。

そしてまた現実は、ようやく捕まえられそうだと思うと、次の瞬間にするりと転変していくものでもあります。

最終回のテーマはマクロ経済学でしたが、実は大学院生時代に「マクロ経済学という学問は存在しない」ということをいう先生がいました。カナダ経済学会の会長も務めたBlackorby教授です。経済というのは、ひとりひとりの個人(企業を含む)の活動の積み重ねで、GDPとか失業率とかマクロ経済指標はその結果として立ち現れるに過ぎないというのです。

確かに、シェアリングエコノミーとか、ライフスタイルの変化があれば、当然それらの指標も変わってくるし、それらの指標の意味も変わってきます。GDPが高ければいいとか、失業率は低ければいいとかは、昭和な時代の解釈でしかないのかもしれません。

講義では紹介し忘れましたが、ロバート・ルーカスという経済学者が1970年代に「過去のデータ使って予測したって意味ないぜ」という批判を展開しました。これもまた、同様なことを指摘していると言えるでしょう。

今回の連続講座を通じて、こうした経済学者による経済学批判も含め、これまで積み重ねられてきた経済学者の営みを、部分的ではありますが、ご紹介してきました。こうしたことを知ることが、過度に彼らのいうことを鵜呑みにせず、自信を持って自分らしい暮らしを築くための礎になればと願っています。

知の探求の旅は続くはずです。良い旅を続けてください。

半年間ありがとうございました。

ダイジェストムービー

※準備中

 

てらすくらす「サマースクール2017」を行います


movie by terrace class shiga – “Summer school 2017″(2017) / CC BY-SA 2.5

てらすくらす「サマースクール2017」を行います。
キイワードは「私たち×パブリック」。
*世界が注目するアメリカ「ポートランド」の自治について
*びわ湖の源流・米原のローカル&パブリックなトピックについて
*参加デモクラシーと市民的関与/Civic engagementについて

etc.

⇒今回は、豪華に3人の専門家を交え、カフェのような空間で、自由で個性的な学びの場をつくります。(9/2土, 13:30スタート@米原駅前・隣町パーラー)

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詳しくは、以下のページでご覧ください。

★サマースクール2017
(9/2土13:30スタート@米原駅前・隣町パーラー)
http://aoibiwako.org/terrace_class/class/ss2017

 

レポート[Class01]第5回講義

ほっこりカフェ朴
ほっこりカフェ朴

滋賀大学の中野桂先生・講師によるClass01 “経済学のめがねで現代をみる”の第5回講義を行いました。今回は、会場を彦根のまちなかにあるほっこりカフェ朴に変更して開催しました。
受講者からのレポートをご紹介します。

> ななつさんから
> 高木あゆみさんから
> ダイジェストムービー
ヨイマメ珈琲の豆でいれたコーヒーのサーブコーナー

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Class01 “経済学のめがねで現代をみる” 第5回講義「研究開発の経済学(私的所有制と知的財産権)」 2017.8.10


レポート(ななつさんから)

「私的所有制について考えよう」

そんなこと改めてまとめて考えたことなかったです。物、土地、技術、アイデアなどの私的所有制について。

お茶を飲んだりしながら政治について語り合う『くらしとせいじカフェ』という集まりを時々友達と開催しています。
固定メンバーとやるのではなく、誰でも、どんな形でもできて、誰の許可も必要ない。やりたい人がやりたいようにできる集いにしたいなと。『くらしとせいじカフェ』をやりましょうと言われれば、ゆるゆると政治について語り合う時間だと何となくイメージができれば、私も含めて、いろんな人が「政治」について主体的にかかわるきっかけづくりになるんじゃないかなと。ただ、語り合い、聞き合うだけなんだけど、思いのほか、すごいエネルギーを生み出すことを感じています。
いろんな方が『くらしとせいじカフェ』を開いていますし、固有名詞として会話に出てきたりして、少しづつだけど広がってるなーと感じています。

美術を学んでいた学生の頃は「私だけの表現とは?」ということばかり考えていましたし、日常でも、「私のものは私のもの、あなたのものはあなたのもの」それぞれがしっかりとルールを守ることが平和を守ること。などと、単純にしか考えていなかったかもしれません。

今回の講義で、桂さんや参加者さんのお話しを聞いていて、なるほど!私的所有を持たないことが、逆に何かを維持し守るかもしれないということを、私も経験していることに気がつきました。

へー、おもしろいなー!

つまり、臨機応変、いろんな視野でより良い価値観をみつけて、みんなで共有できるように、あーでもない、こーでもないといいながらやっていくのがいいんやなー。いろんな経験をされた方が集う「てらすくらす」最高やなー!と改めて思いました。ありがとうございました。

 


レポート(高木あゆみさんから)

てらすくらすも残すところあと2回。
今回のテーマは”私的所有性”。

そもそも私的所有性とは何か。私的所有性は、”自分のものは自分のもの”とい
う考え方で、これは、周りの人間が、もしくは社会・コミュニティがそのルール
を認識しているからこそ成り立つものである。現在の日本では大抵の土地が、誰
か個人のもの、もしくは公共のものとして成り立っているが、例えば先住民族の
文化では一般的に土地は”共有”するものという認識が強い。イメージで言うと、
境界線をぴっちり引いて、”ここまで”と決めているか、境界線を引かずなんと
なくの縄張りを一つの部族ごとにもっていてなんとなくそれらは重なり合ってい
る部分もある、という感じだと思われる。(確か、”私”という漢字も、”ム”
の部分は”囲う”を意味しているはずだ。)

もう一つのキーワードが”公共財”という考え方である。
例えば、ある企業が新薬を開発した場合(技術など=知的財産)、しばらくはそ
の研究開発投資を回収するために、売り上げはその企業に還元されるべきだが、
回収完了以降は、公共財として一般に利用できる方がより多くの人に安定して安
価で供給できるため、より大きな社会的余剰を得られると考えられる。
そこで私の頭に浮かんでくるのが、現在取り組んでいる”琵琶湖フィッシュアン
ドチップス”のプロジェクトである。
琵琶湖フィッシュアンドチップスは、先月末開催されたびわ湖せっけん運動40周
年記念集会「びわ湖発。未来のセンタク。」に合わせて結成した、びわ湖の魚と
滋賀県産無農薬の素材を使った滋賀の新しいソウルフード(になる予定)。
魚は、高島の漁師・中村清作さんにお願いし、衣にはショップマドレの自家製粉
米粉(お米はシバタプラセールファームさんの無農薬米)、じゃがいもは今回は
クサツパイオニアファームさんの無農薬じゃがいも、揚げ油には菜の花プロジェ
クト発祥の地愛東の圧搾菜種油「菜ばかり」を使用しており、塩などを除く全て
の材料が滋賀県内で作られ、仕入れも作り手から直接行い、農法も無農薬で無駄
な資源を投資しないうえ土への負担が少なく、さらに使い終わった揚げ油は石け
んに変身し、さらに生分解性の高い石けんも滋賀県内で使われればびわ湖も綺麗
(そしてまたそこで獲れた魚を食べる)、という非常に社会的意義の高い食の形
と言える。
つまりは、琵琶湖フィッシュアンドチップスを通じて食育も実践できるというこ
とだ。食を通じた”教育”である。
今回の講義の中で興味深かったことの一つが、”教育の公共性”で、後々に社会
を作る人材になるということを考えると、教育というのは公共であるという考え
方である。
そのことも含めて考えると、やはり琵琶湖フィッシュアンドチップスは、”公共
財”にした方が、より大きな社会的余剰を生むのではないか、という考えに至る。
あくまでも、私の主観ではあるが。
とはいえ、構想2年、周りの仲間たちの力を借りてようやく実現、デザインにも
かなり力を入れ、システムを構築しているところでもあり、我ながらとても面白
く未来のあるプロジェクトだと感じているからこそやはりまだ愛着がある。
ここで登場するのが「知財の保護」の話だ。知財には保護の期間と範囲があり、
それもある程度自分で決められる。
残念ながら、知財保護を解除しても、琵琶湖フィッシュアンドチップスの場合、
価格は下がらないが。
正当な価格で仕入れ、正当な価格で販売するスタンスは変わらない、ただ”機会
”が増える、つまり滋賀県内の経済が活性化させられる(はず)。そして自分の
手でものを生み出す人間が増え、もしかしたら起業する人が増える可能性もある。
なので、イメージ的には、どこかのタイミングで私は琵琶湖フィッシュアンドチ
ップスから手を引き(知財の保護の解除?)、琵琶湖フィッシュアンドチップス
というネタでいろんな人が好き勝手遊び(雇用の創出?)、その結果広がり、農
家さんにとっても、漁師さんにとってもモチベーションになり、実際に経済的に
成り立つため無農薬の農家さんも増え、土が守られることにより生き物たちも守
られ、風景も守られ(建物を含め、景観を作るものは、”公共財”ということも
講義で出てきた)、石けんユーザーも増えて琵琶湖(これぞ、公共財!)もきれ
いに、ものづくりの輪もさらに広がり、水も景色も綺麗で面白いから滋賀にどん
どん人が来て(地価も上がり?)、そんな風になることを夢見ながら今回のレ
ポートを締めくくることにする。
琵琶湖フィッシュアンドチップスinstagram:https://www.instagram.com/biwako_fish_and_chips/

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