レポート[Class02]第4回講義


紅葉で色づく大津・唐橋近くにあるmomo庵にて、アミタの熊野会長を講師に迎えたてらすくらすClass02 “共感の経済でつくる未来”の第4回講義を行いました。今回のお題は「共存経済の駆動力を考える~投票行動から購買行動で社会を変える」でした。終了後は、毎回恒例となった懇親会でもにぎやかな時間をすごしました。

こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
> 杉江香代子さんから
> フォト・レポート

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Class02 “共感の経済でつくる未来” 第4回講義 2017.11.20

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レポート(坂本彩さんから)

共存経済の駆動力を考える

今回の熊野クラスで 4 回目。いよいよ、だんだん、「じゃあ、私はこれからどうする?」が具体的になってきた。

今回のテーマのなかにある、「共存経済」という言葉。最初にそのお話があった。

「昔の商売は、地域の中でしていた。材料もその地域の中で調達していた。“○○さんの作る材料がええから、うちの△△もええもんができるんや~。”とお互いの顔が見える中で商売をしていたので、“あそこの商品がよう売れるんは、うちが出してる材料がええからや~”と、自己肯定感が上がった。しかし、工業化が進むと、範囲が広がって顔が見えなくなる。価値がわからなくなる。価値がわからないから、“どれだけもうけたか”の数字だけで見るようになってしまった。そうすると、もうかったほうが良いことになるので“買い叩く”ということになる。」

とても納得のいく話だった。生きていたら、「数字にならないこと」がある。いや、数字で表せないことの方が多いいんじゃないかと思う。でも、全部、数字で表そうとしてしまう。そうすることが、自分の感覚や感性をも、狂わせてきているのではないだろうか。

私は、最近、漢方の勉強をするようになったのだが、その中で
「もともと知ってたことやん。なんで今できひんの?」
「もともとできてたことやん。なんで今、忘れてるん?」と感じる。
自分もそうなので、あきれてしまう。「なんで、忘れてたんやろう。」
疲れたら寝ることや、寒い日は暖かいものを食べることや、お弁当に梅干を入れる事。

最近になって科学的に解明されてきたことも多い。しょうがを食べたら体が温まる。昔の人は、それは体感で知っていたから引き継いできた。冷える時期には料理にしょうがを使って体を温めて体調を崩さないようにした。最近、ショウガオールと言う成分を見つけ出す技術ができて、「ショウガオールという成分が体を温める」と証明した。そうなると、いろんなテレビや雑誌で、いろんなグラフとかで数字をだして「ショウガオールがこんなにすごい!」と騒ぎになって、「ショウガオールがすごいからしょうがを食べよう。」となっている。いや、それは知っていたはずなのに。蒸したショウガの方がショウガオールの効果が○○倍だから、蒸そう、とか。いや、それも私たちは知っていた。漢方の生薬では生姜をそのまま干した「生姜」(ショウキョウ)と、蒸してから干した乾姜(かんきょう)で別に扱う。乾姜の方が温める効果が高いとされて、漢方薬に使うときにはどちらを使うか、症状に合わせて変える。

数字で証明されて初めて信じようとしてしまう自分が、なんか情けないなと思う。自分の身体の声を聴いて、「おい、あったまったか?もうちょっと濃いの飲むか?」と見えないものを感じ取れる自分になっていきたいなと思う。

熊野さんは、「経済=お金」ではないですよ。と言っていた。ここでも数字にとらわれている自分が出てくる。お金にとらわれないで、「暮らし」全体を考えてみる。お金はいったいなにに必要なんだろう?お金がなくてもクリアできることはなんだろう?私は、2 年前に体調を崩して仕事を辞めた。定収がなくなってものすごく不安になった。いろんな本を読んで、いろいろ計算して、節約して、やってみた中で、案外、なんとかなったのは日々の食費だった。けっこう野菜をもらえるし、最近は体が肉をそんなに欲しなくなってので、まあ、あるもんでなんとかなる。意外ににどうしようもなかったのが「交通費」だった。

友だちに会いに行くにも、聞きたい話を聞きに行くにも、勉強しに行くにも、実家に帰るにも、なにをするにも「移動」にお金がかかった。大阪の漢方スクールに通うために「昼得きっぷ」の使い方を覚えた。こんなに安くなるのかとびっくりした。それでも往復したら家から駅までのバス代も入れて 2,000 円近くかかった。歩ける日は駅まで歩くようにした。

「移動」ができないことは人を孤立させる。障害者福祉の仕事をしていて、痛いほど感じてきたことだ。車いすの人も、切符が買えなくてひとりで電車に乗れない知的障害の人も、人の目が怖くてバスに乗れない精神障害の人も、「移動支援」はその人と社会をつなぐ大切な制度だった。ヘルパーの移動支援は、ひと月 25 時間しか使えない制度だったけど。

そう考えると、これから 10 年、20 年と高齢期に向かっていく自分の住まいを考える時、交通機関のない田舎に「村」を作るというのは、私には非現実的に思えた。そこで孤立してしまうのではないか。そのため、最後のグループワーク「適地の選定」と「未来設計」を描く」では、「30 年前くらいに分譲された新興住宅地」を考えた。高齢化が進み、高齢者世帯のみになって空き家も目立ちだすような地域。例えば、その地域内に、高齢者専用の介護付きの住宅のようなものをつくり、そこに地域内の高齢者で希望する人に元気なうちに移り住んでもらう。空いた家はリノベーションして若い人が転居してくる。その若い世代は自治会の活動などに参加してもらう。元気な高齢者には、昼間はお惣菜を大量に作ってもらい、共働きの夫婦が帰りに寄ったらおかずを受け取れる。そんな仕組み。お金の問題や細かいことは、次回ゆっくり考えたい。現実的な絵なのではないかと思う。

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レポート(杉江香代子さんから


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フォト・レポート

 

 

 

レポート[Class02]第3回講義


秋の風がふきだした大津・唐橋近くにあるmomo庵で、Class02 “共感の経済でつくる未来”(熊野クラス)の第3回講義を行いました。「未来設計を考える。~人間性を取り戻す社会とは?」というテーマで、熊野さんからの講義、グループディスカッション、講義、ディスカッション・発表、講義、質疑応答、懇親会(希望者のみ)と、とても濃密な時間をすごすことができました。

こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

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> ダイジェストムービー
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講師の熊野英介さん

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Class02 “共感の経済でつくる未来” 第3回講義 2017.9.30

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レポート(坂本彩さんから)

私は、今回の講義を聞いて「私のやろうとしている方向性はまちがってない!」と思えて、とてもうれしかった。

新しい社会を作る、ということは、今まで、みんなが見たことないものを作ろうとすることだ。そうすると、過去の知っていることと照らし合わせた時、私たちは不安になる。だ
って見たことないから。「それでやっていけんの?」と思う。あたりまえだ。見たことないから。しらないもん。

私自身のことを少し書くと、2 年前に病を得て、長年働いた職場を離れた。それはもう、私にとっては、身体を半分引きちぎって泣き叫びながらおいてくるような作業だった。でも、「病を得て」と書いたのは、まさにその通りで、「じゃあ、私はこれからどう生きるの?」と言うことをすごくすごく考えたことで、私は大切なことにいっぱい出会えた。「てらすくらす」もそのなかのひとつだ。今まで障害者福祉の世界にどっぷりと浸かりこんで生きてきた私が、少しその世界を飛び出したら景色がまるで違って見えた。大好きな障害のある人やその家族と一緒に生きることをもっともっとステキにしていけるようなワクワク感に出会えた。私のライフワークは変わらない。私の軸はぶれないし、変わらないんだけど、でも、もっともっとみんなでワクワクできる社会を作れるんじゃないか、その中にあたりまえに障害のある人と家族がいるんだ、と気がついた。

そんな私にとって第 3 回目の講義は、「よし!この方向性でまちがってないぞ!」と勇気をもらえるものだった。
まだ今の社会にないことを作ろうとしている。今の社会にないものは、今の経済のシステムに組み込まれていないので、お金が発生しにくい。だから、しばらくは、私は、金銭的には苦しい生活をするだろう。でも大丈夫。今回の講義資料の最後にあった素敵な図⇒「自治的交差共同体のネットワーク社会」とやらを作れたら、大丈夫。
合言葉は「唐橋ってる?」だ。

「150 人くらい」

全体を網羅してレポートをする力はないけれど、今回の講義で私が一番印象に残ったのは、「150 人くらい」という単位。ダンバー数というらしい。人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限らしい。1990 年代に、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーによって提案されたそうな。
これくらいの人数なら、ルールを決めなくても、モラルを維持できる。しかし、これ以上になると、お互いの顔をみて、人物を把握して関係を維持できないので、「ルール」を作って集団を維持していくことになるという。ルールができるということは、同時に「ルールを破ったら罰がある」ということになり、「罰」が発生する。
しかし、産業革命以後、どんどんその集団規模は大きくなっていった。お互いの顔を把握できない。どこのだれかわからない。どんな暮らしをしている人なのかわからない。そんな中で、疑心暗鬼や不安が増長されている。そうなると、ルールを決めて、縛って、破った人には罰を与えるということが強化されていくのだなあ。
だからといって、今からもういちど、150 人単位の暮らしに戻しましょうって言うわけにもいかない。だから、戻すんじゃなくて、新しい社会を作るんだな。見たことない新しい社会。
自分たちのグループワークで出た「ほどほど感の家族っぽい暮らし方」を模索していきたい。

 

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ダイジェストムービー

※準備中


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フォト・レポート
グループディスカッションの様子

  
(写真左から)グループディスカッションの共有 会場の様子 地球未来シンポジウム2017「希望の探求」

 
(写真左から)会場内の様子

▼懇親会のお料理は、ブラフアートBRAH=art.さんにお願いしました。

  

  
(写真左から)百菜劇場の新米 ブラフアートBRAH=art.の岩原さん SHARE WILD PROJECT

レポート[Class02]第2回講義


暑い8月初旬、大津・唐橋のmomo庵にて、Class02 “共感の経済でつくる未来”の第2回講義を行いました。今回のテーマは「近代の誤作動を考える~何故市民革命の近代が市民を犠牲にするのか~」でした。前回講義の振り返り、講義、グループディスカッション・発表、講義、ディスカッション・発表と、今回も、熱のこもった3時間となりました。なお、終了後は、懇親会も行われました。

こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
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講師の熊野英介さん

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Class02 “共感の経済でつくる未来” 第2回講義 2017.8.5

レポート(坂本彩さんから)

※ここに掲載している坂本さんのレポートはダイジェスト版です。全文をお読みになりたい方は、こちら(PDF)をダウンロードしてお読みください。

2回目の熊野クラスの講義を受けて、

①つは、「人間の発達」に寄せて。もうひとつは、②「もっと、あそんで暮らす」について。
考えてみました。

①「人間の発達」に寄せて

熊野さんは、
「人間は、幸せになるために、様々なことを選んできた。でも、いま、“衣食住足りて、不幸”になっている。」といわれた。
私たちは、幸せになるために発達してきたはずなのに、どうして不幸になっているのか。
まず、「我々意識」について。

最初のグループワークでは「戦争は、兵隊vs兵隊の戦争であったはずなのに、一般市民を攻撃する戦争になったのはなぜだと思うか。」について話し合った。

グループワークの中で参加者の方から「ジュネーブ条約で非戦闘員は攻撃してはならない、とルールを作ったのに、攻撃した。」と言う話がでた。私は、みんなで考えて作ったルールなのに、私たちはそれを維持することができないでいる。なぜなのか、と考えた。

人間の発達を考えるとき、「9~10歳の壁」といわれるものが存在しているといわれている。その壁を乗り越えるための力の芽生えるのが、「5~6歳の頃」である。いろんな力が関連しているのだが、その芽生える力の一つに「集団的自己」と言うものがある。

それは、ものごとを多面的にとらえる力や、変化するものとしてとらえる力の発達により、自分の存在を、他者の視点を通して客観的にとらえる力の芽生えだ。自分のことも、他者のことも、「長所も短所もある」とか「話しあいをしたら変わるかもしれない」などと捉えることができるようになっていく、はじまりのはじまりの力の芽生えだ。

そして、意見が対立したときには、どちらか一方の意見ではなく、両方の意見を組んだ解決策を考える力も芽生える。とはいえ「ブランコの順番はどうする?」とかの意見の対立に過ぎないのだが。

そんな経過の中で自分の所属する集団に対する帰属意識や誇りが生まれ、「パンダ組は、カッコいいぞ!」など、その集団の成長を、自分の成長として実感するようになってくる。

この頃、こどもたちは「秘密基地」「○○団の掟」などを作って遊び始める。そうやって、自分たちの所属する集団を自分たちで過ごしやすいようにルールを作るのである。それは「大人から与えられたルール」ではない。自分たちで作った、自分たちのためのルールなのである。そんな力が5~6歳の頃には芽生えているのに、私たちの社会はどうだろうか。

自分たちの幸せのためのルールを作ったのに、自分たちで壊している。
ジュネーブ条約を作ったのに、市民が攻撃されている。

この5~6歳の頃に芽生えた「我々意識」は、時に「異質性の排除」や「排他的グループ」につながってしまう危険性をはらんでいる。保育の実践ではこのような時に、大人が、例えば「K君は、乱暴をしてしまうこともあるけど、ウサギのえさやりを忘れたことがない。」というような、人の多面性に子ども自身が自分で気がつける実践に取り組むことが大切だとされている。

なのに、私たち大人の世界には、“異質性の排除”や“排他的な考え方”が蔓延している。ヘイトスピーチをする大人の姿がある。

私はこの、5~6歳の頃に私たちに芽生えると言われている力を私たちが自分たちのものとして獲得し、自分たちが幸せに生きるために使うことができていないのではないかと考えた。いったいなぜなのだろう。なにが、この力の獲得と、行使を阻んでいるのだろう。

「スケールメリットからスコープメリットへ」

熊野さんは、「見える範囲の経済」が大切だと話された。この商品は、もしかしたら、どこかの国で児童労働で搾取された子どもが作った服かもしれない。それが、今、見えない。

この時も私は、5~6歳の発達の話を思い出した。

この発達の時期、「昨日、今日、明日」とか、ものごとを系列的にとらえられる力が芽生え始める。ものごとを「変化していく流れの中にあるもの」、ととらえて、だから、

「未来は変えられるのだから、働きかけてみよう。」

と考えられるようになる。このことについて、ある、知的障害の青年のクッキー工場での仕事風景を見学したときの話に寄せて考えてみた。(略)

(略)私が作っているコレは、どこにどう届くんだろう。誰が喜んでくれるんだろう。そのことを感じて取り組む仕事と、わけもわからず取り組む仕事は、対価としての賃金が同じでも、自分の中に残るものはまったく違う。「自分が見える範囲の仕事」が私たちの中に生み出すものは、金銭対価に限らない、人間の発達につながるなにか大きな力があるのではないだろうか。

それが見えない労働を繰り返す中で、「誤作動」を私たちは起こしているのではないだろうか。

②「もっと、あそんで暮らす」について

熊野さんは、「守・破・離」の次に「遊」があるとお話をしてくださった。

※ここに掲載している坂本さんのレポートはダイジェスト版です。全文をお読みになりたい方は、こちら(PDF)をダウンロードしてお読みください。

 

レポート(杉江香代子さんから)

私の感想
以上の私の捉えた講義の流れであったが、講義内に出てきた日本が有害性に科学根拠がないため規制されていない食品添加物や農薬を認めている数1500 以上に腹立たしい。
根拠はある。伏せているとしか思えない。
企業を守り、人を守らず。
医薬業を守り、人を守らず。
害を作るのはロボット、人はどうなる。
人があっての経済であり、国家では。
悪循環、誤作動の歯止めが効かなくなってしまっていることに対して、批判ではなく行動をし続けることなのだと改めて強く感じました。
自分と社会のために築き上げる、そして共同、みんなで夢を実現するという最後の言葉に深く感銘を受けました。
私は、石けん作りを10 年間この悪の憤りを感じ、その思いを伝えたくて続けています。
『一波は万波を呼ぶ』一つの波を起こすとまた次の波へ波へと幾つもの波に繋がると信じて波をまず起こす行動をする。
伝えることはすごく難しく、そしてそこから共感を得ることは、もっと難しいけれど、やめなければ必ず縁は繋がると信じています。
今この講義のご縁を賜れたことは、最高に有難い。より自分自身が向上し確かな知識を得られることに感謝いたします。
杉江香代子

 

ダイジェストムービー

※準備中

 

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フォト・レポート
講義の様子
グループで話し合ったことを発表
Base For Restのチシンさんのコーヒー
懇親会の様子

  
懇親会のお料理

レポート[Class02]第1回講義


5月27日に、大津・唐橋のmomo庵にて、Class02 “共感の経済でつくる未来”の第1回講義を行いました。こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。

> 坂本彩さんから
> 中谷志野舞さんから
> ダイジェストムービー
講師の熊野英介さん

Report

Class02 “共感の経済でつくる未来” 第1回講義 2017.5.27

当日タイムテーブル
レポート(坂本彩さんから)

都合で早退させてもらったため、中途半端な内容になってしまっています。
最後まで聞けていないので、誤解もあるかもしれないという前提で読んでください。

第1回目は、「2030年の未来を考える」という、「え?13年後。そこやん。」というテーマであった。いろいろ不安なことが起こっている社会だけれども、13年後は、まだ、そんなに大きなことは起こっていないのではないか。まあ、なんとかやっていけているのではないかと言う私の安易な想像は、前半の講義で、「やばいぞ。」という気持ちに変わった。

熊野さんは、「未来予測に必要な5要素」として、「人口動態」「地球環境動向」「資源枯渇動向」「技術革新」「社会的価値」をあげた。
「人口動態」…世界の人口は増える。日本の人口は減り、中身は高齢者が多い。
「地球環境動向」…気温上昇は年々加速し、森林が消失。2030年には、39億人が深刻な水ストレスに直面する。
「資源枯渇動向」…銅鉱石14年、鉄鉱石49年、オイルピークは2006年、食料は減産。

ここまで話されたところで、1回目のグループワーク。「2030年はどんな社会か?」と言うテーマ。私はもうビビッていたので、2030年に我が家の夫婦の会話を想像して絵に書いてみた。

私「今日、お水が足りないわ。」
夫「配給クーポン券ももうないし、ヤミで買ってくるわ。」
という会話。想像力が足りないので、戦後の日本のようになっている。
同じグループのみなさんは、そこまで悲観的ではなかったので、私がネガティブすぎるのかなあと思ったりした。

続いて、後半の講義再開。「技術革新」「社会的価値」について。
講義再開の最初に言われた話が印象的だった。
「人間は、人間のしたいことを選んでしてきた。したくないことはしてこなかった。それは、幸せになるために選んできた。なのに、いま、“衣食住足りて、不幸”になっている。」

幸せになると思ったら違ってた。この「幸せ」を何とするのか。と、私はメモしている。

「技術革新」…すでに始まっている、始まりかけている様々な技術革新のお話。すごいな、と思う。でも、それがどう幸せにつながるのか私にはまだイメージができなかった。
「社会的価値」…人間は未熟な状態で生まれる。まともにものが食べられるまで2~3年かかる。大声で泣く。居場所がばれたら虎とかに狙われるのに。そんな人間が発展していくためには、役割分担が必要だった。「狩をする人」「子どもをみるひと」など。人間はサルに比べて白目の部分が多いという。それは、表情豊かにコミュニケーションをとるためだという。

私はこの話をきいて、「やっぱりここだ。」と思った。自分の仕事にひきつけて考えると、縄文時代の遺跡から、障害のある人が介護を受けて不自由な体のまま生きていたであろう遺骨が出てきている話を思い出した。縄文時代に、障害のある人と共同体の中でいっしょに生きていくためには、役割分担と、分配が機能していたということになる。自分で自分の食料を確保することも、食事をすることも、清潔を保持することもできなかったであろう障害者が生きていたのであるから、赤ちゃんの世話と同様に、役割分担がなされていたはずである。そして、この役割分担と分配を機能さすためには「共感」が必要である。他者の気持ちを想像して、コミュニケーションをとらなければ役割分担や分配はできない。まさに「共感で未来をつくる」だ。

そして、そのまま、2回目のグループワークになった。
テーマは「2030年からのバックキャスティング」。
私は、2030年に幸せな未来を作るために、自分はこれからなにをしようと考えた。

私はソーシャルワーカーである。なので、私は、「エンパワメントの視点を大切にしたソーシャルワーク」をしていこうと思った。エンパワメントとは、“自分が本来持っている生きる力を太らせていくこと”だと考える。それは他者を排除して自分だけが生き残るような力ではない。私たちはそもそも役割分担のために共感する力を身につけているはずだから、エンパワメントされることで本来の共感の力が復活し、深みを増していくような生きる力が太るはずである。それは、お互いの命に思いを寄せて、“自分たちの幸せ”に向けて合意形成をして、社会を作っていくことにつながるのではないか。そんな人たちがつくる社会の「幸せ」は、“衣食住足りて不幸になる。”という幸せとは違う“自分たちの幸せ”を見つけることができるのではないかと感じた。

坂本彩

講義中の様子

休憩の様子
レポート(中谷志野舞さんから)

最初に個人的なことから。
今年から夫の両親と同居することになった。同居の理由はズバリ、老後貧困の回避。義父母が独立した生計を立てることが難しくなり、家や車、そして諸々の生活費をシェアするため、同居を選択した。
が、同居の選択は他の問題も一緒に連れてきたのだった。
まずは介護の問題。今は2人とも元気だが、いつか体が不自由になる時が必ず来る。昔に比べ自治体の支援は充実しているものの、最終的には家族、特に嫁が面倒をみると世間、そして義父母自身が特に疑問もなく考えていることに、ものすごく違和感を感じた。どう考えたって、ひとつの家族や個人に押し付けられることじゃないだろうと。
もうひとつは仕事の問題、というよりも働くことの問題と言ったほうが良いかもしれない。
同居をきっかけに、約7年振りに仕事を始めた。接客・販売という今まで経験したことのない分野だが(アルバイトは除く)、お客さんとのやり取りやお金の管理を通じて、ものを売ることはおもしろいと感じるようになった。また自分の生活や考え方にフィードバックされることも多く、働くことは社会と関わることの方法のひとつ、を実感している。
が、その一方で夫は過労で休職をくり返し、私は扶養に収まるようにパート雇用に甘んじる、この働き方のバランスの悪さに、どんどん疑問が大きくなってきた。
金融危機が来るたびに、リストラ、早期退職、新規・中途不採用という雇用調整される私たちとは、いったい何者なんだろう、と。
なので熊野さんから「工業の使命は人間を喰いものにすること。人間と自然をコスト(経費)と考えることが常識になった近代社会では誤作動が起こり続けるのは当たり前」と聞いたときにすべてが腑に落ちてきた。工業によって文明化を進めてきた近代社会で生きている私たちは、もはや生身の血の通った人間ですらなく、お金に置き換えられ消費され、最終的にゴミとして廃棄されるような存在だったのだ。だから平気で切り捨てられる、、、納得。
人間らしく生きられない上に、すべてのリスクは個人に押し付け自己責任で済まそうとするこの社会。やっぱりおかしいし、このままじゃ嫌だと思う。生きている以上、幸せに生きていきたいと思うし、そして幸せというのは自分ひとりが幸せでもダメで、みんなが幸せに生きることで回り回って実感できるものだと思う。
みんな(人間だけじゃなくて、動物や植物、生命を持っているものすべて!)が幸せな未来を実現するために、熊野さんの叡智からたくさんのことを学んでいけたら、と思っています。

中谷 志野舞

 

チシンさん(BFR)によるコーヒードリップ

ダイジェストムービー

 

(おまけ)すきまの時間

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玄関を掃除してくださるななつさん
懇親会の様子
唐橋からの瀬田川と琵琶湖