暑い8月初旬、大津・唐橋のmomo庵にて、Class02 “共感の経済でつくる未来”の第2回講義を行いました。今回のテーマは「近代の誤作動を考える~何故市民革命の近代が市民を犠牲にするのか~」でした。前回講義の振り返り、講義、グループディスカッション・発表、講義、ディスカッション・発表と、今回も、熱のこもった3時間となりました。なお、終了後は、懇親会も行われました。
こちらのページでは、参加者からのレポートをご紹介します。
> 坂本彩さんから
> 杉江香代子さんから
> ダイジェストムービー
Report
Class02 “共感の経済でつくる未来” 第2回講義 2017.8.5
レポート(坂本彩さんから)
※ここに掲載している坂本さんのレポートはダイジェスト版です。全文をお読みになりたい方は、こちら(PDF)をダウンロードしてお読みください。
2回目の熊野クラスの講義を受けて、
①つは、「人間の発達」に寄せて。もうひとつは、②「もっと、あそんで暮らす」について。
考えてみました。
①「人間の発達」に寄せて
熊野さんは、
「人間は、幸せになるために、様々なことを選んできた。でも、いま、“衣食住足りて、不幸”になっている。」といわれた。
私たちは、幸せになるために発達してきたはずなのに、どうして不幸になっているのか。
まず、「我々意識」について。
最初のグループワークでは「戦争は、兵隊vs兵隊の戦争であったはずなのに、一般市民を攻撃する戦争になったのはなぜだと思うか。」について話し合った。
グループワークの中で参加者の方から「ジュネーブ条約で非戦闘員は攻撃してはならない、とルールを作ったのに、攻撃した。」と言う話がでた。私は、みんなで考えて作ったルールなのに、私たちはそれを維持することができないでいる。なぜなのか、と考えた。
人間の発達を考えるとき、「9~10歳の壁」といわれるものが存在しているといわれている。その壁を乗り越えるための力の芽生えるのが、「5~6歳の頃」である。いろんな力が関連しているのだが、その芽生える力の一つに「集団的自己」と言うものがある。
それは、ものごとを多面的にとらえる力や、変化するものとしてとらえる力の発達により、自分の存在を、他者の視点を通して客観的にとらえる力の芽生えだ。自分のことも、他者のことも、「長所も短所もある」とか「話しあいをしたら変わるかもしれない」などと捉えることができるようになっていく、はじまりのはじまりの力の芽生えだ。
そして、意見が対立したときには、どちらか一方の意見ではなく、両方の意見を組んだ解決策を考える力も芽生える。とはいえ「ブランコの順番はどうする?」とかの意見の対立に過ぎないのだが。
そんな経過の中で自分の所属する集団に対する帰属意識や誇りが生まれ、「パンダ組は、カッコいいぞ!」など、その集団の成長を、自分の成長として実感するようになってくる。
この頃、こどもたちは「秘密基地」「○○団の掟」などを作って遊び始める。そうやって、自分たちの所属する集団を自分たちで過ごしやすいようにルールを作るのである。それは「大人から与えられたルール」ではない。自分たちで作った、自分たちのためのルールなのである。そんな力が5~6歳の頃には芽生えているのに、私たちの社会はどうだろうか。
自分たちの幸せのためのルールを作ったのに、自分たちで壊している。
ジュネーブ条約を作ったのに、市民が攻撃されている。
この5~6歳の頃に芽生えた「我々意識」は、時に「異質性の排除」や「排他的グループ」につながってしまう危険性をはらんでいる。保育の実践ではこのような時に、大人が、例えば「K君は、乱暴をしてしまうこともあるけど、ウサギのえさやりを忘れたことがない。」というような、人の多面性に子ども自身が自分で気がつける実践に取り組むことが大切だとされている。
なのに、私たち大人の世界には、“異質性の排除”や“排他的な考え方”が蔓延している。ヘイトスピーチをする大人の姿がある。
私はこの、5~6歳の頃に私たちに芽生えると言われている力を私たちが自分たちのものとして獲得し、自分たちが幸せに生きるために使うことができていないのではないかと考えた。いったいなぜなのだろう。なにが、この力の獲得と、行使を阻んでいるのだろう。
「スケールメリットからスコープメリットへ」
熊野さんは、「見える範囲の経済」が大切だと話された。この商品は、もしかしたら、どこかの国で児童労働で搾取された子どもが作った服かもしれない。それが、今、見えない。
この時も私は、5~6歳の発達の話を思い出した。
この発達の時期、「昨日、今日、明日」とか、ものごとを系列的にとらえられる力が芽生え始める。ものごとを「変化していく流れの中にあるもの」、ととらえて、だから、
「未来は変えられるのだから、働きかけてみよう。」
と考えられるようになる。このことについて、ある、知的障害の青年のクッキー工場での仕事風景を見学したときの話に寄せて考えてみた。(略)
(略)私が作っているコレは、どこにどう届くんだろう。誰が喜んでくれるんだろう。そのことを感じて取り組む仕事と、わけもわからず取り組む仕事は、対価としての賃金が同じでも、自分の中に残るものはまったく違う。「自分が見える範囲の仕事」が私たちの中に生み出すものは、金銭対価に限らない、人間の発達につながるなにか大きな力があるのではないだろうか。
それが見えない労働を繰り返す中で、「誤作動」を私たちは起こしているのではないだろうか。
②「もっと、あそんで暮らす」について
熊野さんは、「守・破・離」の次に「遊」があるとお話をしてくださった。
※ここに掲載している坂本さんのレポートはダイジェスト版です。全文をお読みになりたい方は、こちら(PDF)をダウンロードしてお読みください。
レポート(杉江香代子さんから)
私の感想
以上の私の捉えた講義の流れであったが、講義内に出てきた日本が有害性に科学根拠がないため規制されていない食品添加物や農薬を認めている数1500 以上に腹立たしい。
根拠はある。伏せているとしか思えない。
企業を守り、人を守らず。
医薬業を守り、人を守らず。
害を作るのはロボット、人はどうなる。
人があっての経済であり、国家では。
悪循環、誤作動の歯止めが効かなくなってしまっていることに対して、批判ではなく行動をし続けることなのだと改めて強く感じました。
自分と社会のために築き上げる、そして共同、みんなで夢を実現するという最後の言葉に深く感銘を受けました。
私は、石けん作りを10 年間この悪の憤りを感じ、その思いを伝えたくて続けています。
『一波は万波を呼ぶ』一つの波を起こすとまた次の波へ波へと幾つもの波に繋がると信じて波をまず起こす行動をする。
伝えることはすごく難しく、そしてそこから共感を得ることは、もっと難しいけれど、やめなければ必ず縁は繋がると信じています。
今この講義のご縁を賜れたことは、最高に有難い。より自分自身が向上し確かな知識を得られることに感謝いたします。
杉江香代子
ダイジェストムービー
※準備中
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